A Note

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記事タイトルの「Getting to ‘No’」( ‘No’までの遠い距離)はというのはダブルミーニングで、発音の同じ「Getting to know(知り合いになる)」という慣用にかけられている。Noと言えるまでが遠く感じられる場面は色々あるが、この記事で書き手の彼女が控えめながら、しかし確かに自らの被害体験を踏まえて述べるのは大学時代にsexual assualt=性的な暴行を受けた経験についてだ。

完全に強姦や暴行とまで言えないがしかし明確な合意などなかったにも関わらず相手の男が行為をやめなかった、という多くありそうな灰色の、表に出ない潜在的なケースを考えに含めれば、大学キャンパスにおいて女子学生が受ける性的な被害の多さについてはきっと一般的な想像を超えるものがあると思われる。公に相手を告発すべきかどうか悩んで自己嫌悪や怒りの時間を過ごしたすえに結局諦めるという人がたくさんいてもおかしくはない。またそれは被害者がいざ訴えを起こすために引き受けなくてはならない精神的また肉体的なコストの大きさにもよると想像できる。上の記事で言及されているのも、明白なレイプではなくてこのグレーゾーンに位置づけられるだろう事例だ。二人のあいだに確かに何らかの親密さがあったにせよ、女性は決してSEXへの期待もまた同意もしていないという状況。

日本だろうとアメリカだろうと、大学という世界で性的な犯罪が多発する事情においてそれほど大きな違いがないと思われる。というのは、若く愚かで性的な好奇心も強い二十歳前後の男女にアルコールを含むドラッグとパーティーを与えれば、国籍や場所を問わず何らかの形でいくらかの割合で不幸な間違いが発生しても不思議とは思わない。日本人としてはここで「スーパーフリー」という言葉を苦笑や嫌な感情とともに思い出す人がいるかもしれないけど。

常に問題になるのはSEXの前提とされる「合意の有無」だ。この種のケースにおいて男が「準強姦」のような罪名で逮捕された後に「合意のもとだった」と供述しているニュースをよく見かける。そういうときSEXにアルコールも絡んでくる場合が多いからきっと事は曖昧さの度を増すのだ。合意の有無は別に女性にとってだけでなく全ての心ある男性にとっても大きな問題だ。というのは彼が正気の健康な、正常な思いやりを備えた大人の男だと仮定する限り、相手の嫌がることなどしたくないし、事後にレイプ犯として逮捕されたくもないからだ。

僕は男だから、もしありうるとすれば被害者であるよりもおそらく加害者になる可能性のほうが高い。これはやっていい場面なのかそれともよくないのか、状況において大人の判定を下せる人間でありたいと願うだけでありますね。