A Note

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「左脚が痛い」で救急車呼んだ66歳の男が土足で室内に一歩踏み込んだ救急隊員を殴って逮捕。66歳にもなってそんなことしかできない男の左脚なんて、もげて月面まで吹っ飛んでいくくらいがふさわしかったな。痛い場所が無くなっちゃえば痛くなくなるだろ。人間が歳を重ねて賢くなるという一般的な言い方があるけど、これは正確ではない。歳をとった人間はそれまでこの世界で痛みを味わったり苦しんだりした分だけ、狡猾になって悪知恵が付くだけなのだ。ただ長く生きただけで若い頃より人格的に高くなったり、慈悲深くなったりするわけではまったくない。誤解されがちだけど、ここを間違えるべきでない。真実は、良い歳の取り方をしている人間なんてほんの一握りで、ほとんどはただ長く生きているだけだ。


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太陽・惑星

太陽・惑星


「太陽」と「惑星」の二篇を収録。一つ目の「太陽」を四分の一くらい読んだところ。これは好きな感じの小説だ。その冒頭をまず唐突に、太陽という火の玉の科学的な組成について述べることから開始されるこの小説には、人を食ったところがある。それが生煮えの失敗や無用なギミックに終わらない文学上の形式的な企みも期待できる。感傷や曖昧の入り込む余地を残さない冷厳な論文のように硬質な文体によって、地上のすべての汚穢と美を眺め下ろす神の視点から語られるこの物語は、土地と時空をまたいで展開する。人物は各地に配される。東京には、胸のうちに冷たく暗いものを秘めた、売れないアイドル崩れのデリヘル嬢。そして月に二回、女をホテルに呼ぶことを習慣にした、資産運用を趣味にする大学教授の男。二人の物理的な位置は物語の冒頭ですでに一度交差する、それは文字通りの意味でも。一方アフリカの小国には、劣悪な環境で育つもその極めて高い知能を用いて生き延び、今は自分自身が幾人もの女性に孕ませた赤ん坊を売り払うする人間工場を経営する男。作中の道具立てが大方出揃って、ここから人物をどう動かし話を駆動させていくのかという段階まで読んだ。期待できそうだし、若手の好きな作家を見つけたと思う。

「太陽」を読み終えた。良かった、と言おう。今後にはもっと期待できる。期待したい。「SF x 文学」という煽りが帯にされているがたしかにそう呼ぶための仕掛けは作品に盛り込まれる。「人類後」という、核戦争による人類の滅亡が現実の可能性となって以来、根強い人気を誇る暗い想念にも触れられる。その意味でも僕はこの小説を読んで強くウエルベックを思い出した。ウエルベックの「素粒子」 僕は今までに読んだ現代小説の中でも「素粒子」を高く評価しているけどだから無理やりここへ名前を出すわけではない。「素粒子」と「太陽」の両者の小説としての企図が似ているからだ。科学的な知見を文学上のガジェットとして用いることで、現代人の置かれた状況の馬鹿馬鹿しさや愚劣さを批判的に描き出すという大枠において二つの小説には通底する音を聞ける。ウエルベックの「素粒子」に10点中の9点を付けるとしたら、この「太陽」には著者の未来への期待も込めて5点。

この小説は新潮新人賞を受賞していてその賞には応募の際の字数制限があるのかな、分からない、もしあるのならその規定によって強いられたものなのかもしれないけど、作品には意図的な言い落しや省略が多用されていて、読後も想像や推測の余地を大きく残す書き方になっている。ただ、明らかな説明不足だと思える箇所もあってこの点では評価を下げる。特に終盤へかけて物語を駆動し終わりへと導く重要な位置を担う人物が作中に出てくるのだが、その人物の来歴や背景が意図してかどうなのか、ほとんど全く書き込まれていないため、生身の人間として立ち上がって来ず、説得力を大きく失う結果になっている。この点は残念だし、完成度を落とす原因になっている。このことに関しては、小説が新人賞を受賞したという事実、つまり誰かがまず作家として登録されるためにデビューする際の業界への土産のような作品だということを考えれば、将来的に2倍あるいは3倍の紙数を割いて不本意な箇所は書き直した完全版へとアップデートするのも面白いと思う。いかなる成果物も常に改善への圧力に晒され、よりよい版=バージョンへと更新されていく世界で小説を書き直したりしないのは、考えてみれば不思議な事だ。全然書き直してもいいのだし、それを出版してもいいわけだ。