A Note

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これはNikeのランニングシューズとBOSEのスピーカー。BOSEのモデル名は「301 AVM」 AVMはおそらくAV Monitorくらいの意味。購入はもう15年くらい前、価格は左右のペアを新品でたしか9万円というところ。このシューズのサイズが27.5cmなので、それより横へ大幅に長いこのスピーカーは巨大だ。301 AVMはBOSEのこれまで送り出してきた数あるスピーカーの中でもいわゆる名機と評価されているモデルで、下手すれば購入から20年は経つだろう個体でも状態さえ良ければ、ヤフオクで35000円からの値段で落札されているのを見かける。もうBOSE自身がこのスピーカーの製造をやめているので、手に入れようとすれば中古か、あるいは何かの間違いで奇跡的にこれまでどこかで眠り続けていた新品を探すしかないのだ。もちろんその人に何か特別なコネクションでもない限り、後者のそれが見つかる確率はほぼゼロに近いだろう。

どこも壊れずいまだに調子はいい。でもどんなものでも経年劣化を避けられないので、もしBOSEへ送ってスピーカーユニットの交換を始めオーバーホールができるかどうか、オフィシャルの問い合わせフォームからメールを投げて聞いた。回答は「どこにも故障のない製品のオーバーホールは承っていない」 うーんそうか、まあ仕方ないかとは思う。301 AVMが製造停止から何年経過したか分からないけど、もしカタログから消えて10年は経っているとすれば、この製品に対応するための部品在庫の有無そのものが怪しいとしても不思議はないから。ここで穿った味方をすれば、例えばスピーカーユニットを自分の良心が咎めない範囲で小規模に破壊してからBOSEに送付すれば、こちらに修理を求める権利は発生するね。ただ懸念としては、もしその場合にBOSEの側に交換部品そのものがなくて対応が不可能だとしたら、おそらく単に自分の手で葬った巨大なハコが2つ残るということになるだろう。そしてそれはとてもバカげた状況であるだろう…

当面そのまま使うつもり。

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ICQ懐かしいねー! Google PlayでStaff Picksのアプリを眺めていて偶然見つけたんだけど、まだこのブランドが今はスマホのアプリとして生き残っていたとは。AndroidがあるならiOSもあるだろうな。少し嬉しい気持ちになった。というのは昔ダイヤルアップ + テレホーダイでWebを使い始めたとき、Onlineだけの友達と連絡を取るためにICQメッセンジャーを使っていたのでこの名前に多少愛着がある。ICQ上でメッセージが届くと、デフォルトでは気の抜けた独特の、文字で表せば「アッオー」としか形容し難い、面白い着信音が鳴るのだ。僕の中ではあの不思議に魅力的な通知音が、そのままICQというサービスそのものを表す音のイメージとして固定化されている。


アッオー
アッオー
アッオー


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増加する人口、働くことが唯一の信仰、資本主義、日本信用金庫 ------ Shing02「¥都」

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広告代理店最大手・電通は24日、新入社員、高橋まつりさん(当時24歳)の過労自殺を受けた残業抑制策として、午後10時に社内全館を一斉消灯した。25日以降も午後10時〜翌日午前5時、毎日消灯する。


\(^o^)/ そのうちに、社則に反してLEDランタンを持ち込みながら22時以降も仕事していた社員の過労死が報じられるのは時間の問題だわ笑 日本人というのは冗談でなくそれをやってしまうクレイジーな民族だからね。悲しいことだ。一億総賃金奴隷、社畜の一生だ。人生のために仕事があるのであって、仕事のために人生があるのではないという根本的なことを日本人はなぜか、いつからか忘れている。

大きく報じられた電通の女性社員の過労自殺以降、厚労省が本気出してんのかな? 「これ以上働かないほうがいいですよ」じゃなくて「これ以上働いたら殴るぞ」って言わないと、つまり法定を超えた社員の使役に有効な罰則規定を設けてそれがしかもきちんと現場のレベルで運用されないと、日本人はこれからも何も変わることなく死ぬまで働き続ける。なぜならそれ以外の生き方を知らない。

過労死そのものは幸か不幸か労働を神聖化したこの日本社会が伝統的に直面している巨大な課題だし、間違いなく笑い事ではないんだけど、こんな風に皮肉な気持ちになるのは、ちょっとバカバカしすぎると感じる気持ちも抑えきれないからだ。過労や劣悪な労働環境で精神を病んだ人々が毎朝東京中の線路へ身を投げるから、轢断された遺体の処理のためダイヤの乱れは常態化する。身勝手な自殺者に苛立ちを覚えながら遅延証明書の発行を経て目的地へ向かい今日は生き延びる人々も、このおかしな社会で生き続ける以上は、いつ遅延をもたらす側に回るか分かったものではない。彼・彼女らの立場は完全に交換可能なのだし、生者と自殺者との間には、人々がそう思いたがっているほどには明確な壁はない。

日本人の得意技だけど、極めて生産性の低い労働を無反省に終電まで継続して、労働意欲と会社への忠誠心を表す行動が優秀さを示すと考えられているところにも根本的な錯誤がある。さっさと仕事なんか終わらせて、家に帰って嫁とSEXしたり子供の相手したりしろよ。本来であれば家庭に割かれるべき旦那のリソースが会社に吸い取られるから必然的に家庭が空洞化して空気は淀むし幸福が遠くなる。子供は父親のことを「ただ金を持ってくる人」と認識するようになる。

レム・コールハースがあの巨大な本「S,M,L,XL」で、日本でプロジェクトを手がけた経験について日記めいた断章として書いていたことを覚えている。「日本では明確な目的のない、何の意味もない会議が頻繁に開催される。時間の無駄だ。これは最高にShitだ」 彼がShitと言う罵り言葉を使っていたかどうか定かでないが意味内容とすればそういうことだ。レム・コールハースはおそらく西洋世界の合理主義の精髄のような人だと想像するし、そしてその人がこの日本社会の合理主義の欠如や不可解な時間の浪費にどれだけフラストレーションを覚えたかは容易に思い描ける。