A Note

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何でもないもの

最近撮った写真をGoogle Photoで適当にまとめた。機材:SONY α6000に、Sigma 30mm f2.8 DN。今写りの調整がスライダーの左右への移動一発になった弊害で、ひと目見て分かりやすいためのOverly Saturated(彩度上げすぎ)な写真がWebには溢れてて胸焼けすることがあるから、あえて眠たい写真のままにした。最近α6000でVideoも撮るようになったんだけど、動画のほうは昔から基本的に、可能な限り階調を残す平坦な撮り方で収録した素材をあとからColor Gradingの工程を通していじって、画を作り込んでいくのが方法だよね。僕もVideoはその撮り方でやるけど、最近その動画のやり方に影響されて、白から黒までほぼ完璧に階調が残るも、一般的にはとてもつまらなく眠たい、つまりコントラスト、シャープネス、彩度、この三つがとても低い、あくびの出るほどフラットな画を「いい」と思う価値観を身につけた。

その時々の熱の入れかたこそ違うが、遠出するときだろうと家でだろうと手近にカメラがいつもあるし、日常のこととしてシャッターを切っている。だから上のこれはほんの最近の、目についたファイルを集めただけで、その裏にまだ何千枚もただ息をするように撮り、溜まった写真がGoogleのサーバーの上にある。呼吸するようなもの、あるいは毎日飽きもせず水を飲むようなものだ。たとえば朝に目を覚まして、まだ半分は眠りの中にある体をキッチンまで運び、コップに水を汲んで飲むときに「よし、今日もこれから水を飲むぞ」と構える人はいない。写真も同じだ。撮るのに特別な理由はないし、その必要もない。

ところで今写真はデジタルへほぼ完全に置き換わった。僕なんてそもそもフィルムも暗室も、一切経験していない世代だからね。風景を撮るならベルビア100が好きという人は多いけど、おれはあれは色乗りが濃すぎて好きじゃないし使わないね…とか、僕はやっていない、その後に生まれた世代だ。Adobe Lightroomの使い方は完璧でもフィジカルなフィルムを自分で現像する知識はまったくない、というプロカメラマンなんてもう大勢いるだろうし、もちろんそれでいい。物理フィルムは写真の歴史においては最初期の、過渡期の技術だったからだ。もう一つこれから徐々に死んでいくだろう、写真最初期の、古代の技術がある。一眼レフのミラーボックスだ。これも遅かれ早かれそのうちなくなる。つまり僕が言っているのは、SONYだけでなくNikonCanonも将来的には最上級のプロ機までもファインダーがEVFになるということだ。

いやそうはならない、と言う人は懐古趣味や親しんだ仕組みへの愛着が強すぎて技術の進展に目をつむっている。ミラーボックスは撮影という結果を導くためには単に技術的にエレガントな解法じゃないんだ。部品点数の多い複雑な機構を本来は可搬性の重要なはずのカメラという機械に無理やり搭載しているから、NikonCanonの一眼レフはでかすぎるし重すぎる。身長175cmの男である僕が持ってもNikonのD800やCanonの5D Mark IVは手に余る、大きすぎると感じるのに、ましてこれが身長152cmの女性にしてみたらどうなるのか? きっと女性がカメラを持っているのかそれともカメラが女性に取り付いているのか分からない、ほとんどおかしな感じになってしまうだろう。カメラはもっと小さくなるべきだし、そしてそのための最大の障壁である、カメラボディ内で多大な容積を占めてきたミラーボックスは、進化し続けるEVFに置き換えられる形で今後はその役目を終えていく。今までおつかれさん。