A Note

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昼寝中の猫が気持ちよさそうだった。猫のそれは気持ちよさそうに眠ることといったら、使い古しのクリシェではあるが「猫になりたい」とたまに心から思わされるほどだ。もし自分が猫になったらその猫である僕はどんな気持ちがするんだろうか。いやそもそも生物学的に言って、猫の脳を与えられた僕はそんなふうに自己自身の気持ちや意識について考える自己観照の能力をいまだ保持しているだろうか。それが祝福か呪いかは別として、人は自分自身の意識そのものについて問う能力を持っている。もし猫になったら、ああ僕はしばらく何も食べられてないお腹が減って不幸ニャとか、ああ僕はあの美しいメス猫のことが大好きニャ、などと心に猫なりの悩みを抱えて眠れぬ夜を過ごしたりするんだろうか。こればかりは猫になってみなければ答えの出ない、難しい問題なのかもしれなかった。

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新宿のサブナードを歩いていたら、もうクリスマス系のHouseがBGMとして流されているのが聞こえてきて、世間から少し遅れていたらしい僕の時間の感覚を修正された。

ときに揶揄的に「乙女ハウス」と呼ばれたりもするような楽曲、特徴を述べれば、舌足らずで幼い声の女性ヴォーカルが、割ときらびやかな音使いの、明るい四つ打ちのトラックに乗せられたもの。

きっと働きながら一日中聞いていると嫌になって、それが惹起しようと試みる当の甘い高揚感なんて、最初からいなかったサンタクロースみたいに消えてしまうんだろうな。

用事があったのは地下街の外れに設置されたゆうちょのATMだった。右手でドアのハンドルを握り、押し、ブースに入った。尻のポケットに手を差し入れ、財布を抜き出してから、機械に目をやると、壊れていた。

out of orderを知らせる張り紙を見た。軽く無駄足を踏まされたことの不平を顔に出しつつある自分自身の苛立ちに少し意外な感を覚え、そしてそれを幼稚だと思い、微かに恥じながら、また外へ出た。


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日本人女性がモテると思っているのは日本人だけ


いや、何日か前に自分でもほとんど同じこと書いたなと思ってさ。つまりこれは、日本人の女性はその純粋な人間的な魅力というよりはむしろ、そのfuckabilityの高さに需要があるだけなのでは、という、日本の女性にとってはおそらく衝撃的な説なんだよね。

「モテる」という言葉をどう扱うのか、一度きちんと定義してから話を進めるのがわかりやすいと思うんだけどね。まあ後でまた気が向いたら。

追記:気が向いたから帰ってきた。いや、どうかな。まあ上のことを書いてから思ったのは、この種の言説つまり「日本人の女性は単に性的に簡単だと見なされ諸外国の男が寄ってくる事実を、モテるのだと勘違いしているに過ぎない」という類の言い方、これがもし「自分と国籍の同じ女性が他の国の男になびいてしまって悔しいよお」という日本人の男のルサンチマンを反映しているものだとすれば非常にダサくまた最低に醜悪だし、何より日本人の女性に失礼なので、自分としてはそれは絶対に嫌だし加担したくないわけね。その可能性も十分にあるということに留意すべきだろう。その種の負の感情に駆動された言い方だけはしたくない。なぜなら醜いからだ。自分の人生や言動を美的な観点から統御する意識を忘れたら、そこからただのugly useless piece of shitになるまでそう遠くはない。

で何の話だっけ。でもまた続きはそのうちにしよう


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いわゆるナンパ箱でない、音好きのためのclubに少し通うような人ならおそらくその名をどこかで聞いたことのあるベルリンの半ば伝説的なハコ、Berghainのメインフロアの描写から書きだされるこの記事は、NYTの「Travel」セクションの下に位置づけられている。その旅とは、著者が4日間で2ダースを下らないベルリン中のclubというclubをハシゴしまくり、いまだに勃興期の先鋭さとヤバさを失わずにundergroundな雰囲気を保ちつつ「Still Partying in the Ruins」である現地のdance music sceneについて述べるための小旅行である。ちなみに記事中に書いてあることだが、Berghainには地獄のような黒いTechnoで延々と朝まで揺さぶられるメインとは別にも踊るためのフロアがあり、そちらではもう少し優しく融和的なHouseが迎えてくれるとのこと。