A Note

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生きることは遊びではないし、誰も癒しがたい傷を負って生きているということを思い出させる。

最近よくredditを読んでる。2chとの決定的な差はratingというシステムのあるなし。設計としてredditの方が100倍は優れている。発言をただ時系列に並べる2chの方法は近いうちに死に絶えると思う。クソみたいなヘイトスピーチと真に深遠な発言とが同等の地位を与えられる仕組みは単に間違っているし馬鹿げている。

英語に問題がない人ならredditのほうがはるかに面白いし合理的にできてるからスイッチしたほうがいいと勧めたい。このスレッドも考えさせる。20年前、自らの不注意で招いた自動車事故において同乗させた乳幼児の息子を亡くした(彼の意識のうちではおそらく「殺した」)父親がその経験について語っている。その後事故について責める妻と別れたこと、それから今までに三回自殺未遂をしたこと。

その種の決定的な経験について僕みたいな人間が軽々しく何か言えることはない。ただそのようなごくごく個人的な悲劇を共有してくれる人の勇気に驚きまた感謝するばかりだ。この世界でただ普通に平凡に生きるだけでも容易なことではない。誰もがその人生で与えられる不運や災難に耐え、誇りを持って生き抜けることを願いたい。

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上から人間の生き死にのこと。わざわざ書くのも野暮だが漱石の「こころ」は恋の罪について書かれた小説だ。時として恋愛は楽しいだけではない。そして「All's fair in love and war(恋と戦争においてはなんでもあり)」という箴言についても考えさせる。

あと半年もしないうちにこれらを書いてから2年経つなんて時間の経つのは本当に早い。「光陰矢の如し」

きっと寝て起きたら40歳になっているのだろう。恐ろしいことだ。誰にも平等に与えられた資源は時間だけなのに僕はそれを受け取るそばからゴミ箱に突っ込んでる気がする。まったく虚しく過ごしている。

この愚かさは言葉では表せない。人生を無駄に過ごしてきた気がする、ただ底の浅い空虚なから騒ぎのうちに。でも興味深いのは少しものを考える人ならみんな似たようなことを思うらしいということだ。「私の人生には意味がなかった」

私の人生には本当に意味があった、意義深いものだった、などという幸福な回想に満たされるためには恐ろしく尊大で愚かな自意識か、それとも本当に記念碑的な達成がなければならないということか?

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アルゼンチンの誰かが僕のGoogleアカウントにログインしようとして失敗したとGoogleから知らされた。メールを盗み読みしたかったのかもしれないが、極東の島国に居住するただの惨めな若い男ではなくて、もう少し重要な人物を狙うべきだね。ターゲットを選定する時点ですでに誤っていると言わざるを得ない。でも頑張れ!