A Note

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Phone Sexという曲名だからおおかたLil LouisのHouse Classicである「French Kiss」のような、女の喘ぎ声で始まるような良い意味で頭の悪い曲なのだろうかという僕の下世話な期待は裏切られた、なんだろうこの気の抜けきったスティール・パンの音色で幕を開けるこの曲、最後までSexどころか気の抜けた前戯どころかやるまえに既に終わった後の睦言のようなこの曲。なかなか良い。

愛の反復横跳びどころか二人して仲良くお茶でも飲んでるのではという感じで全然セックスしてない感が強い。こんなことでは、コラもっとまじめにやらんか、と覗きのオヤジが怒り出すのではないだろうか?

ところでSex sells、と言うがこの文句は広告の世界もさることながら芸能の世界にはつきものであると聞く、いわゆる枕営業のことを告発する慣用なのか? そのときsellする対象物は自己自身だ。体の提供と引き換えに仕事を獲得しなければならない場面があるとすればね。でももし自分が女だとしたら、やると思う。その辺はかなり割りきってやる人間なのじゃないかという気がする。

体は売っても魂は売らないと覚悟を決めてやればいいのではないだろうか。しかしいずれにしても困難な選択なのだろう。女優も大変だ。きっとエンターテイメントの業界ほど汚い業界はこの世界には他にないだろう。嘘と虚飾に満ちている。

それはそれとして…… 太くて長い海底ケーブルを通じてやり取りされている情報のいったい何パーセントが、世界中に散在する遠距離恋愛の恋人たちがSkypeを通じてやりとりする愛のトラフィックなのだろうかと僕は考える。特に今日などビット化された優しさの粒子が世界中めぐっているのではないかという仮説もある…

などと書いているところで別のタブで開いていたGoogle Newsに目をやったところ…


新生クラウンのニュースが目に入った。そしてリンク先に飛んで少なからず驚かされた。ほとんどの人が目を見張ると思う。百聞は一見に如かない、というわけで一目見れば僕の言う意味が分かる。いかにも、これは紛れもなく愛のクラウンではないのか? 粋な設定だと思った。

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このおじさんは何ものなんだ? id:finalventという名前ではてなでもずっと書いていたが。今でもかな? もし僕が若い女ならこういうおじさんのことは好きだろうなと考えた。「ま、私の人生には結局意味がなかった」などと言いながらも日々を生きている影のあるタイプだ。この人ずいぶん賢いようだけど、そして深く諦めているようだけど、いったい若い頃に何があったのだろう?と思わすような孤独な男だ。軽薄で深みに欠ける若い男よりはまともなことを語ってくれそうな気もするだろう(この言い方にはもちろん幾分かの自己批判を含んでいる)

懐が深く思慮に富んだ優しい父親像を求めている若い女性は少なからずいると思う。父親の愛情に飢えているタイプだ。家族のあり方にもいろいろある。まあまあ上手くいってるのから、完全に壊れたのまで、様々だ。誰も壊したくて壊すわけではないが、ただそうなってしまうのだ。そしてそんな家庭で育つと、愛情に関して不全感を抱えたまま生きることになる場合がある。

ここに壊れた家庭がある、あそこに壊れた家庭がある。あちこちにあるに違いない。皮肉なのは誰にも悪気があるわけではないということだ。明確な悪意をもって振舞っている人などそうはいない。みんなそれぞれ一人ひとりを取り上げてみればきっとそれなりに善良であり愛すべき人たちだ。しかしその人たちがひとたび世界という舞台に配されて関係を結ぶとき、どうしようもなく壊れてしまう何かがあるのでありそこに悲しさがある。

誰の人生も結局は一つの裏切りであらざるを得ないのだから生きるのは楽なことじゃない。ただ、だからといって深刻な顔で考えこんでばかりいると暗くなってしまう。だから僕は笑いや冗談の精神はとても重要だと思っている。遊びのない人間ほどつまらないものはない。それでいうとfinalventのおじさんは色気もユーモアもあるから僕は面白いと思ってたまに見ているし長生きして欲しいと思う。もし自分が女だったら抱いて欲しいと思うかもしれないが僕は男なのでそういうことはない。

しかし男女の能動、受動の違いというものはいまだに生き続けている。男は「抱く」ものであり女は「抱かれる」ものであるということだ。僕自身はその関係が逆転することに何の問題もないと思う。それに男にも女に抱かれたいことはある。男なんて普段は威張っているが本当は弱いものだ。僕は基本的にマッチョ主義には反対だし、男が弱くある自由というものは重要だと思う。弱みを見せることができずに自殺してしまうよりは女の胸で泣けるほうがまだしもだ。

…それで何の話をしていたんだっけ? そうか今日は… 僕は昔からクリスマスという日付に特別な意味を感じたことはなかった。いや、小学生のあれは1,2年生だった頃、寝て起きたら枕元に普段から欲しかったラジコンが置いてあったことは嬉しかったな。あれは何か純粋な喜びだった。僕はたしかサンタクロースがいるとかその種の物語を信じてなかったんだ。それなのにあのとき不思議と両親がラジコンを置いてくれたとは思わなかった。では誰が置いてくれたと思っていたのか? 今考えると不思議だ。空から降ってきたわけでもないのだから…

世界のあらゆる人が愛情や基本的な物資の欠乏から免れて仲良く暮らすのは重要なことだ。この臆面もない宣言は僕が救いがたいロマンチストであるということを明らかにするだけだろうか。それならそれでいい。この世界で殺戮が止む気配はない。しかし殺し合いが悲しいことは間違いない。