A Note

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いい女すぎる。なぜか唐突に、事が終わったあとで、耳元で「初めて見たときからずっと君を抱きたかった」というふうな文句をささやく場面を思い浮かべた。なぜなら僕は今かなり酔っている。そして酔っているとき人間はふだんより少しだけ馬鹿になっている。

これは広い意味でセクハラに該当する行為なのだろうか? しかし世の中にアルコールほど危険な物質はない。コカインやヘロインよりよほど危険だ。それはどこでも簡単に手に入るという入手の容易性によって。

人生において本当に本質的な問題は二つしかない。つまり愛と死だ。誰も愛されるのをあきらめることはできないし、死なないことはできない。人間が愛なしで生きることができる動物ならどんなに楽だっただろうか? 狼のように荒野でただ一人で。しかし誰にもそんなことは不可能だ。

愛を求める渇望が一人残らず魂の深いところに埋め込まれてるのさ、そしてそれによって誰も必ず苦しむことになる。ただ生き長らえるだけでも簡単なことではない。

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 "Life is pain and the enjoyment of love is an anesthetic"
(「生きることは苦痛であり、愛し合うよろこびはその痛み止めだ」)


パヴェーゼという作家に興味を持っている。イタリア人だ。ひねくれて憂いに満ち、愛に飢えて哀れに見える。上のは彼の引用句だ。その種の人間に独特の魅力を感じることはある。人生に幻滅した人に特有の諦念も周りから見れば甘美に思えたりするものだ。彼は41歳の若さで、今後の作品も期待される文学的キャリアの頂点で自殺した。その行為に関して見習うべきでないことは確かだろう。僕はもちろん自殺するつもりはない。とはいえ未来のことなど誰にも分からない、自分自身の未来のことさえ、今から5分後に自分が泣いているか、怒っているかさえ。

この人は悲観主義者だったのに違いない。たとえ表層は賑やかに飾っているとしても、深いところに黒々とした哀しみを持っている。このquoteを見つけて、自分が言う前に先に言われていたという悔しさを覚えた。もしも人間同士に愛し合う能力がなければ、この世界は間断なき寂しさと煩わしさの地獄でしかないだろう。互いへの優しさと敬意に満ちたセックスが冗長に引き伸ばされた孤独の持続に読点を打ち、生きることの痛み、苦しみから束の間、解放する。今は冷たい孤独の中で縮まっているとしても、いつか誰かと分かり合えるかも知れないという微かな希望が、本来であれば無価値な人生に意味を与え、直面する課題に取り組む力を与える。こんなのもある。

 "No woman marries for money; they are all clever enough, before marrying a millionaire, to fall in love with him first."
(「男の金だけを目当てに結婚する女性なんていないよ; 彼女たちはみんなもっと賢いんだ。つまり、まず最初に金持ちに惚れて、好きになってから、その後でその男と結婚するのさ」)


面白いし気が効いてる。もしそう見えても、金じゃない、まず愛が先にあるというわけだ。ある意味では女性に関する穿った、斜に構えた見方だ。そして今僕はwikipedia、また他の場所に書かれていた彼に関する伝記的な事実によって、彼が20代のうちに、将来を約束した女性と不幸な別れ方をしていることを知っている。簡単に言えば裏切られたのだ。自分の愛しているその相手自身によって愛が破壊されることほど誰かを揺さぶり、混乱させる悲劇はない。そのときやはり女というものに徹底的に幻滅したのだろうか? この種の皮肉な箴言を吐けるようになるために? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

簡潔に述べるとこうだ。彼は左翼のインテリであり、当時のイタリアにおいて体制とは敵対していた。そしてあるとき知識人狩りにあって離島に流された。そのとき彼には愛し合っている女性がいた。二人で歩む未来が確かに、既定のものとして合意されていたはずだった。やがて彼が塀の中から出てきた。ところがそのとき、彼女は別の男と愛し合っていた。関係は終わった。それに引き続いて彼が乗り越えなければならなかった精神的な混乱、内面的な嵐の日々を思い浮かべるのは難しいことではない。

手ひどい失恋は一人の人間を別人に変えてしまうほど破壊的な影響をもたらすことがある。そして年若いころに負った傷や痛みはその人間を生涯に渡って特徴付け、縛り、規定する。パヴェーゼの場合にどうだったかは分からない。僕はまだ彼の小説を一つしか読んだことがない。それは短編で、題を「自殺」という。救いのない、魅力的な作品だった。この作家に興味が湧いた。他にも探して読んでみるつもりでいる。