A Note

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村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)

村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ (文春文庫)

浅田 ただ、抽象的な話でいうと、ニーチェのいった強者と弱者というのはすごく誤解されてきたと思う。ニーチェは強者を弱者どもの攻撃から守らなければならないっていうけど、そのときにいってる強者ってのは、普通の意味の強者とは全然ちがうんだよ。
村上 肉体的な強者ではない。
浅田 そう。マイノリティで、マジョリティに迫害されながらも、それをルサンチマンに変えずに逃走し続ける人、例えば、キューバみたいなところに閉じ込められながら明るく踊ってる人とか、あるいは、エイズになって、免疫系全開で外部に曝されながらも、創造的に生き続けている人とか、それが強者だと思うの。
  他方、弱者というのは、強者に対するルサンチマンによって団結して既得権にしがみついてるマジョリティで、実際にはものすごく強力なんだよ。ユダヤ人を恐れて迫害したナチスなんていうのは、その意味ではまさに弱者そのものなんだよね。その辺をクリアにしておかないと。


これは村上龍の対談集なんだけど結構面白い。上に引いたのは冒頭から数えて4番目に収録されている「映画とモダニズム」と題された浅田彰との対談において、ニーチェのいう強者、弱者について語られている箇所。

これは全くそのとおりだと思えて、ニーチェ的な強者というのは絶対的に孤独で創造的、換言すれば美的に美しい生き方をしているということです。ただ、それ故にバカや、魂が醜い人達から妬まれたり迫害されたり、石を投げられたりすることがあるのだけれども、その辛さや不運を決して下劣な怨恨感情=ルサンチマンに変換することがない。

僕が生きたいと思う生はそのようなものであって、石を投げるマジョリティと、石を投げられるマイノリティがいるとします。僕は自分自身を後者の立場でしか考えないし考えることができない。石を投げる側に自分の立場を想定することは不可能です。間違いなく自分は石を投げられて殺される側だという確信を持っている笑

眠いですおやすみ☆(機種依存文字だから「ホシ」は使ってはいけません、的なうざい説教は昨今では聞かれなくなったのでしょうか?☆)