A Note

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若くて可愛くて悪そうな女の子たちをエロく撮ることが仕事なんて羨ましすぎる。そう考えると報道カメラマンって何なんだろう? わざわざ誰も見たくないようなものを見に行く仕事なんて。可愛くてエロい女の子の写真なんて誰でも見たいでしょう。でも戦災孤児や内戦で傷ついた人たちの苦しむ表情を誰が見たいだろう。

でもだからといって、扱うテーマとしてエロが不真面目で戦争が真面目だとは僕は思わない。戦争で殺しあうことで減少した人口をエロ行為=つまりセックスで回復させなければならないからです。それにエロが脱落した人生なんて生きるに値しないでしょう。そもそも人間を含むあらゆる動物が、セックスするために生まれてきたようなものです。これがめちゃくちゃな言い方でないということは、今この瞬間からこの世界の誰もがセックスすることをやめれば、今世代限りで人間という種が絶えるということを考えてもらえれば分かるでしょう。

人間はセックスしたり戦争したりします。この二つの行為は対極にある。つまりセックスは生み、戦争は殺します。もちろん今セックスと生殖は分離してる。それは子作りのためのそれと遊びのそれは分かれているということです。ただ遊びのため快楽のためにセックスする人はたくさんいますしそれでいい。きっとこの世界にセックスより楽しいことは存在しないから、こんなにみんなセックスのことばかり考えてるのでしょう。

それで戦争の話です…。なんだっけ、そう、女の子を撮ることもできれば、戦争を撮ることもできます。どちらの仕事もこの世に必要です。あるいはどちらも必要でない…。

よくわかんないがロバート・キャパだって女の子を撮ってるほうが楽しかったに決まってる。本人はすごい女好きだったようだし、なんでそういう写真家にならなかったんだろう。弾丸が飛び交う戦場のど真ん中で、しかも自分が従軍してる方ではない相手側の女兵士とやってるんじゃないか、などという冗談がキャパについて言われたらしいですよ。きっとスペイン内戦のときです。

僕は戦争や公害、人権弾圧、そんな人類の悲惨を撮るより、若くてエロい女の子を撮るほうが絶対に楽しい仕事だと思う。だからどうしたんだと言われても答えようがなく、文章全体として支離滅裂で申し訳ありませんが、これは同じカメラマンと言っても人によってその得意とする被写体があまりにも違うことへ改めて感じる驚き、そして若くてエロい女の子たちへの憧憬、また、彼女たちの眩しさを目にして思わず漏らすため息、それら言語化困難な感情をそのまま加工せずに表出したものと捉えてください。

ってことで今日も一日始まりでござる。