A Note

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カラトラバは他の何よりも先にまず構造家だ。構造それ自体が圧倒的な美しさと強度を持たされて屹立するという状況に惹かれる(structure!) カラトラバの作品は作ったものではなくてすでにどこかにあるものを見つけてきただけのような気がする。これは建築だけではなくすべてのmasterpieceと呼ばれる芸術作品に通じる言い方であると思う。つまり神が作って世界に置き去りにしておいたものを作家がたまたまそこへ遭遇して見つけてきただけである、というような、完璧という概念を具現化したような作品があるものだ。そしてこれは、数学者の仕事が創造であるよりもむしろ発見に近いのではないかと考える立場と接近すると思う。つまりあらゆる可能な数式がすでに神によって書かれている。数学者はそれを発見して記述するだけである。文学においてはその考え方をバベルの図書館という思考実験が表す(だったかな) あらゆる可能な本がすでに書かれており、というわけ。

日本はこう外国はこうってパリやベルリンやニューヨークを理想化してるわけじゃないということをはっきり言っておきたい。別にどこに住んだって人生のキツさや人間関係の面倒くささは変わらない。しかし一つ確かなことがある。向こうでは空気を読む必要がないということだ。そしてそのおかげで僕はあくまで能力に応じてですが、水を得た魚のように生気を取り戻すような気がいたします。もうとにかく空気読めというこの国で感じている同調圧力がウザクて仕方がないのです。どうしてこうなっているのですか? 僕には分かりません。どうしてこうなっているのでしょうか? なぜ個人の自由な振る舞いが認め合えないのでしょうか? 僕には分かりません。本当に日本に生まれたことが何か間違っていたような気がしてなりません。なぜみんなこれほどまでに硬直的なものの考え方をしているのか分かりません。

最近貼るリンクが全部Wikipediaになってきてる。すごい影響力だぜ。だって何でも知りたくてGoogleしたらWikipediaを一番上に持ってくるんだもんリンクしちゃうよね。Wikipediaでよく言われるのが集合知の威力の凄さを示してるとかいうことだね。これが情報の民主化であるのか。辞書の編纂というのはこれまではおそらく正しい解釈を高名な学者が合議して定め、社会の最も上流から下流に向けて流布するという極めて権威的な行為としてあったと思うんだ。しかしWikipediaという辞書において編纂という行為を担うのはアカデミズムに位置を占める偉い先生方ではなくて一般の迷える衆生であるわけだね。偉い先生方の合議で上から与える権威的な情報より不特定多数で持ち寄った文殊の知恵のほうがはるかに使えるし価値を持つという事態が生まれているのが面白い。そしておもしろがるだけじゃなくて本当はもっとこの先まで考えたい。

基本的にはすげー便利だしジミー・ウェールズにありがとうを言いたいと思ってる。ただ金をdonateしてないのでその点に関してはごめんなさいを言いたいと思ってる。将来的に金儲けに成功したら1000万円とかポンと寄付したいのでそんときはジミーよろしく。ただ一個気をつけたいのはWikipediaはあくまでも索引でしかなくてその先の本文を書いてくれてるのはやっぱり大学の偉い先生方だということだ。だから例えば "ロバート・ノージック" で検索してきっとこれもWikipediaが一位なんだろうな。それでノージックって? フンフン、アナーキズムネクストレベルに押し上げたすごい学者で "アナーキー 国家 ユートピア" って本を書いてるんだ。ということが分かったとしてもそれで分かったことにしたら知的に終わりなんで、きちんと教科書を借りるか買うかして読むようにしたい。

自分で書いててもこりゃアタリマエ過ぎることを言ってると思って消したくなったけど消さないけど、やっぱりwikipediaの表層的な知識なんかindexでしかない。その先をちゃんと追求して大学の先生が書いた本を読む必要がある。本当に当たり前すぎるから書く意味があったのか分からないな。それでも書いたものは消さないルールにしたがおう。ポチ。

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なんかあのトリスのCMに出てる女の子が気になる。ウーマッとか言って飲んでる子。テレビをほぼ一切見ないからドラマも見ないので彼女の名前がわからない。普段若手の女優とかモデルとかどうでもいいのに、あの子は全然違う感じがする。つまり本当の意味で振る舞いが自由なように見える。もしあんな子が近くにいたら夢中になるのではないか? ドラマとかに出てるの一度も見たことがないのにあの15秒のCMだけで天性のnatural born小悪魔を感じた。なんでもそうだけど装いが必要ならそれは偽物だ。例えば無理やり装ってインテリ的に振舞っているやつと、本当に知的なやつとは見た目似ていても全然別のものとしてある。

それと同じように、装って小悪魔的な女性と、装いなしでどうしようもなく生まれつきの飾りのない残酷さを持っているのとは違う。そしてそれがどうしようもなくある種の男には "いい女" 性としてアピールする。村上龍の言い方を借りれば "魔女みたいな女ばかり選んで付き合うような男もいる"  あのトリスの女の子はあれをテクでやっているのではないように感じられる。うん、テクと素の対比を使ってもいい。つまりこれはテクで小悪魔なのかそれとも素でそうなのか? やはり素でそうなのが語の真の意味で小悪魔であることだと考える。テクのそれはどこまでいってもテクの領域を離脱することがないということによって最終的には素に勝たない。

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クソ、マジで海外に住みてーよ。ざけんななんだこの国クソ。おいパリ行くぞパリ。仏語やれ。っていうか毎日息するのさえ苦しいからね。パリ行って優しい女の人を見つけて結婚してヒモみたいに暮らすのがもしかしたら一番いいのかもしれないね。そういう人絶対いると思うし。もうなんなんだってくらい変なことが多すぎるよ。日本人にはユーモアがない。おい! なんでそんなにつまらない会話になっちゃうんだ? もっと自分の頭でかんがえろよ。おかしいだろもっと冗談を言え!

もともと日本で営まれてる社会のコードに適応しない人間が一定数必ず生まれてくるんじゃないかという仮説を持ってるね。そういうやついるでしょ。でそのうち海外に行っちゃうわね。空気読めってなんだよとか言う気力もないくらいアホらしくて屁が出るんだよね。マジで屁の勢いでどっか飛んでいきたいよ笑 きっとそのうち屁の勢いで星間飛行も可能になるでしょうよ。そしたら宇宙を自由にマリオギャラクシーみたいにかっこよく飛び回りたいと思ってます。皆さんはどうですか?

自分がよく生きるために真剣に海外移住を考えてるid:nipponianipponです。皆さんはどうですか? おはようございます。今ちょっとカリフォルニアにツテがあるような気がしてますのでマジで真面目に考えたいと思ってます。西海岸いいなあ、いやいいなあ! いや本当にいい感じがしてきたな。あーなんか面白いやつに会えそうな気がする。絶対Stanfordとか面白いやついるだろ… あーもうカリフォルニアに意識が吹っ飛んでいって帰ってこない… 面白いやつに会いたい…