A Note

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これプルードンの友達だった、クールベの手になる作品だ。これ見て思ったのは、アナーキストでも娘持てたんだなあということだな。だからすごい女の人がいたんだなあ。だってこの頃のアナーキストなんてただの逆賊だし、いつ投獄されるか、悪くすればいつ殺されるか分からなかっただろうからね。 "あなたのためなら命賭けられるわ" って言い切れる人じゃないと結婚できないし、子供なんて産めないよ。だからそんな人は本当に偉い。小さい女の子二人が可愛いなあ。プルードンとかクールベとか最高だわ。あとボードレールも仲間だったみたいだね。誰がなんと言おうと最高だ。異論は認める。僕は寛容であることの力を信じている。

他人の子供でも可愛いのに自分に娘とかいたらどんなに可愛いだろうということも考えるなあ。たぶんお風呂に入れまくるよ。1日に10回くらいお風呂に入れるんじゃないかな? ただ、そこまでいったらもう虐待だからほどほどにしたほうがいいよね。子供と一緒に風呂に入るのが人生の最大の楽しみみたいになるよ。きっと子供が出来たら人生観も変わるような気がするな。毒気が抜かれて皮肉や風刺を言わなくなるかもしれない。きっとお風呂に入れてるときにお尻が可愛いから突っついたりするだろうね。自分の娘だしまだ小さいからいいと思うんだよね、そのくらいは? 

3歳だからね。これ、もちろん後々になって娘が洗練された物腰の分析医にかかって、幼少期のトラウマを分析されるみたいなことにはなってほしくないから、ほどほどに突っつくということなんだよね。ツンという感じでごく軽く。で、まあ "やだぁ、おとうさん、おしり、つっつかないでよぉ" みたいなことを言って娘がコロコロ笑って、っていうのが人生の最高の果実だよ。もちろん息子でもいいけど娘が欲しいような気がするな。これはどうしてかちょっと分かんないけど、とにかく、その種の喜びは他のなにものにも代えがたい。僕はプルードンも娘をお風呂に入れるときにおしりを突っついてたんじゃないかと思う。

でも子供を作るっていうのは両性の本質的平等に基づいた神聖なる共同作業=セックスだから男一人ではできないからね。男は種を持ってるけどそれを培養するお腹を持ってない。だから女の人のお腹を借りて、精神的肉体的な負担を依頼して二人の子供を作るわけだから女の人には頭上がらない気がするね。ここが絶対的に不公平なところだ。女性の何がすごいって産むところだ。


"女性のすごいのは何だと思いますか?"
"産むところです"


生命を誕生させるっていうのはふつうのことじゃないよ。だからなんだかんだ言って女性のことは尊敬してるな。まあ自分自身母親の体の中からヌポッと生まれたわけだからね。世界は完全におかしくなってるけど仕方ない。腹をくくって、生きてるうちに何かやるしかない。つまり "命を賭けねば命がない"。"進むべき道はない、だが進まなければならない"。人間は結局、最後には死ぬしかない。そして絶対に二度は生きられない以上、私は人生を使い尽くしたと自信を持って言い切れることが、そして死ぬことができるべきではないのか? 

僕はプルードンクールベボードレールは、生きてあるときにはただキツいばかりで不幸だったかもしれないが、人生を使い尽くしたと思う。それぞれが絶望しながら死んだかもしれないが、三人とも歴史に名前を残している。反逆者として生きるのは簡単なことじゃない。自分の信念を貫くことは。なぜか? 合理的に考えれば一切、何の報いも得られないだろうことが予想できる、そのような賭けに、しかし命を含めて、自分の持てる全てを賭けなければならないからだ。

勝算のない賭けに命を賭けるのは普通に言ってばかだ。社会の側から見れば、頭がおかしいということになる。しかしそのような狂人にしか生きられない、特権的な固有の、人生の強度があるかもしれない。僕はそれが欲しい。人生を幸か不幸かの尺度ではかることは間違っている。大切なのはそれを使い尽くすことだ。もちろん不幸にはなりたくない。しかしそれは本人にはどうしようもない。

とりあえず今は、この人間を何に賭けたらいいのか、ときどき頭がおかしくなったり、うろうろしたり、寂しがったりしながら、探している途上だ。人生を二度生きることはできない。だから本当にやりたいことをやりたい。誰も必ず死ぬのだから人生が負けで終わることは確定済みと言える。それでも戦って死ぬか、逃げて死ぬかでは、意味が違うはずだ。僕はこの人間が本当に生きるということを要求する。どうせ死ぬのでも、せめて信じるもののために戦ってから死ぬことを要求する。

とにかく今、ダラダラしたり、怒ったりしながら、さまよっている。こいつを何に賭けたらいいのかと思っている。早く何か見つけてやれ。自分の他者性を感じている。僕は本当に生きるつもりだ。