A Note

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これ名前忘れたけどHarvardで歴史学のPhDをとったという人類学者の本の表紙。ジェイムス・クリフォードって書いてた。読んだことないし読みたいとかじゃないんだけど、だったらなぜ貼るのかというと、ただこの表紙の写真が素晴らしくカッコいいなと思った。もう何やってんだと思って、見てるとずっと笑える。ツボを的確に押してくる。人類学者って変な人が多いみたいだし、これ本当に中にその著者が入ってんだろうなと思わせる。それでまた笑う。まあ参与観察というmethodのことは聞くしなあ、でもこれ何の観察だよ、と思う。つまり、言いたいことは、観察者の出で立ちがあまりにも異様すぎる。理解不能な生ける柱としての観察者が今や恐ろしい強度をもってそこに屹立する。

いかにも真面目そうに開かれた大判のノートが、私は確かに調査したいのだというミイラの意志を伝える。しかし肝心なことが、つまり何を調査したいのかが、まったく分からない。推測さえ。果たして目的から逆算して、この出で立ちが必然的に要請されるものなのかどうか…。いったい何を調べるためにこの格好をしなければならないのか? そしてこのミイラが頭上に戴く異様な王冠には顔が付いている。人類学は自由にする。自由にする学問。人間を生かし、丸め込み、変装し、そして屹立する。空間を歪め、笑いを呼びこむ。笑顔でも泣き顔でもなく、その重ねあわせである。変な格好もする。

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この写真のことを時々思い出して、そのたびに考えることを強いられる。つまり "お前だったらどこまで近づけるのか" と聞かれているとしか思えないな。これ手前で恐るべき至近距離で、しかも体を起こしてカメラを構えているのがJames Nachtweyなんだけどさ、世間的な語りで言えばこの人どう考えたって狂人なんだよね。だってこれそのへんに流れ弾が飛んでんだよ、絶対。しかもただ飛んでくるかも、じゃなくて飛び交ってるんだよね、間違いなく。

普通の人なら "当たったら死ぬな" と思うし、ここまで行けるはずないんだけどね。なんでここまで行ってしかも体を起こして撮れるのかっていうのがちょっと、考えても分かんないんだよな。自分のとりあえずの理解では、後ろで匍匐してカメラを構えている写真家たちは勇敢でこそあれまだ "正気" の領域にあるわけね。でもNachtweyはこのときある種の絶対的な境を踏み越えて向こう側に、つまり "狂気" の側に、いる。そして狂気と聖性は、似る。

その線を踏み越えられるかどうか、つまり命を賭けているという認識さえ忘れた上で、命を賭けて自分よりも大きなもののために跳べるか、それがたぶんその人の天才性みたいなものの顕現と関わってくるような気がすんだよな。そしてこれは実はwar photographerじゃなくても、ある程度普遍的に、あらゆる領域、職種にある人たちに言えることじゃないか、ということ。向こう側に召命されているということ。

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ていうかもの考えてると音楽やりたくなってくるんだよね。ケージも建築やってから次に音楽でしょ。"建築と数学とセックスを同時に可能ならしめるのは音楽だけ" っていい言葉だよな。坂本龍一かな? つくづく言い得てると思うな。ここで重要なのは音楽にはセックスがあるということなんだよね。で他の芸術にはセックスが欠けているわけね。だから詩人や哲学者や科学者が音楽家に嫉妬することがあるとしたら、それは音楽にセックスがあるからなんだな、自分の理解では。詩や哲学も建築と数学をそのうちに含むことはできる。しかし原理的に必ずセックスを掴み損ねる。

自分の考えでは音楽はマシンなんだけどね。"音楽とはマシンである、そしてマシンでなければならない"  

runners highって言葉は有名だけどさ、基本的にあれって物理的な刺激が長時間にわたって伝わり続けることで、その痛みに抗する機制として、脳みその情報通信システムに違う信号が流れるってことじゃん。違うのかな、分かんないけど。自分も去年そのへん走って体重落としたから分かるんだけどrunners highはたしかにあるね。そして最近分かったのはlogical high、あるいはthinkers highとでも名付けられるような特殊の体験が間違いなくあるということだ。結局、そんなふうにして思索に淫することから抜け出せなくなってしまった知性のゾンビが、世間でいうところの科学者、芸術家、哲学者、思想家だね。

まあこんなの考えてることの100分の1も書けてないんでもどかしいんだけど、キーボードを叩く速度が人間の生理的な限界によって規定されている以上それより速く書けないよな。いつだって指の舞踏より思考の運動のほうが速いからこのもどかしい感じが消えないわ。考える速さで書ければいいんだけどな。うん、まあでもそういうのは、applied cognitive science的なことをやってる人たちに期待するしかないわな。なんか作ってちょ。