A Note

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BBCでHorizonていう科学教養番組があるんだけどYoutubeでそれを見た。でそれは2010放送の宇宙のことだったんだけど内容は、ビッグバンよりも前の時間にすでにsomethingがあったという見方が今では大半だと冒頭で提示して、ではどんな見方があるのか、科学者を回ってそれぞれの理論を聞いていく番組だった。

つまり番組はもうビッグバン宇宙論は古臭い、昔のものだと伝えるものだ。僕は物理学の素養がないが、ビッグバン宇宙論は絶対に特異点を必要とする理論だと言われれば分かる。そしてみんなそれがおかしいと言う。つまり特異点を必要とする理論は全然エレガントじゃない。

宇宙が膨張し続けているというのを時間を巻き戻して巻き戻したら、最後にはある一点にまで巻き戻らざるをえないだろう。しかしではその一点はどこから来たのか、そして誰がその点に火をつけたのか? まったくのnothingからsomethingが生まれたことになるが、しかしそれは因果律に反しており無効である。そんなことができるのはgodだけだ。

みんないろんなことを言っていた。それぞれ自分の理論だ。並行宇宙論みたいなのがあったし、宇宙はボールがバウンドするようにある程度膨張したら収縮して一点に戻り、そしてその一点からまた膨張する、永遠にその繰り返しだと言う人がいた。eternal inflation。本当のところはどうだ。宇宙の本当のところは。分からない。僕は思う。そんなことはgod only knowsだ。

(僕は信仰を持っていないからもちろんGodと言うときそれは人格神ではなく "全知全能" という属性を備えた便宜的な装置としてのGodだ。oh God)

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前にどこかで、"今年は東大の理三から印哲に行った人がいたよ" みたいのを見てただ馬鹿みたいに、スゴイナアと思ったのを思い出した。たしか日本の大学の中でも東大だけに文転とか理転とかいう言葉があるみたいに、あそこはとりあえず入ったあとで3年次からの進路を決められる仕組みがあったんだっけな? 東大の理三は日本で一番難しい受験。東大医学部医学科にそのまま通じている道だ(たぶん)

だから東大の理三から印哲っていうと、えっ東大医学部出て普通に医者になって普通にたくさん金稼げばいいのに印哲って? 印哲って食えないだろ頭おかしいだろ、みたいに一般的には思われるんだけど、真理の探求っていうのはそういうもんじゃない。印哲って印度哲学だろう。印鑑の哲学ではないと思う。印度哲学だろう。金とか食えるかとか考える人がせっかく理三に入ったのに医者にならないで印哲やろうと思わないだろう。印哲ってどこの学部にあるのか知らないけどまあ文学部だろう。経済学部に印哲の学科はないだろう。

この世界には金とか世間体とか名声よりもっと大事なものがあるということだ。それが芸術でも哲学でも物理でもいいと思う。人間は自分の好きにやったほうがいい。世間体なんかウンコだ。そんなことを気にするやつがだ。

印度哲学を極めたら食わないでも生きて行けるのかな? だったらすごいな。なんかインドの哲人って人間離れした深遠さに到達してるような気がするから、もしかしたらご飯食べなくても生きていけるような生理学を導入するための知識体系が印度哲学に含まれてるのかなと思ったんだけど。でも本当にそんなのがあったら印哲ヤバすぎるか。

でもそもそも理三に入れるくらい知能レベルがあったら何年か印哲やってから、やっぱり物理やろ、物理学科行こって普通にできるじゃん。あるいはやっぱ数学やろ、印哲もいいけど数学だわとか。あるいは、文転して印哲もいいけど、普通に医学部に進んで自分で仏典とか読んでフランシス・ヴァレラ(フランシスコ・ヴァレラ、Francisco Varela)みたいにもできるよね。

知らん。誰か知らないけど勝手にやってくれ。人間はそれぞれ勝手にやるだけだ。勝手にやるだけなのさ。

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最近好きな組み合わせは "緑茶と漬け物" だ。スーパーで、ニンニクをかつおとしそと一緒に漬けた漬け物を発見した。これはどんな味のする漬け物だろうか? 買ってみた。食べてみた。なんとも言えずおいしい。面白いのは、少しもニンニクのにおいがしないことだ。食感はポリポリだ。この漬け物を気に入ってしまった。

"僕は緑茶をすすりながらニンニクの漬け物をポリポリするような男だ。" この言明は真だ。しかしそこに価値判断は含まれない。それは良いことでも悪いことでもない。僕はこれからも、夜中にどうしてもお腹が減ったようなときには、緑茶をすすりながらニンニクの漬け物をポリポリしていくつもりだ。なぜなら僕に取ってこれはとてもおいしい漬け物だからだ。