A Note

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もし僕が今突然に、1万年くらい前の、太い木の枝でも持って荒野を食い物を求めて徘徊していた男になったとしたらと考えてみる。これは文字通りその1万年前の男になるという意味だ。すると現在眼前にあるコンピューター、スピーカー、蛍光灯、時計、メガネ、数々の本、枕や布団にいたるまで、およそ人間がその文明を通じて発明してきたあらゆるものが消し飛び、僕の持ち物と言えばせいぜい局部を隠すための腰布と、右手の棒切れ以外になにもありはしないということになるだろう。その時点にまで戻って、まさにその男の体の中に入ってその男の視点から、現在当たり前のように享受しているこの現代世界の総体を眺めてみる。すると人間がその歴史を通じて成し遂げてきたことのもの凄さが実感できるような気がしたのでやってみた。

そもそもこの目の前にあるもの一切が、これまで人間が発明したものだ。このディスプレイというのはなんだろうか? なぜこの窓を通じてあらゆる光景を見ることができるのか? この蛍光灯というのは、この長い光る棒はなぜ光っているのか? 人間がそれらのものを作った。何の感動もなく使っている無数の発明で世界は溢れている。しかしその一つ一つが途方も無いことに違いない。

1万年前にそもそも学問がなかったと思う。今現在こうして量子力学からバラの栽培方法まで、あらゆる分野において、ほとんど無限に近いほどの膨大な知識体系を人間は構築した。しかしそのような知識体系のすべてがそもそもまったくのゼロから築かれたわけなんだから、と考えると目まいがしてくる。人間というのは結構すごい動物なんじゃないか、という気もしてくるしまた恐ろしい感じもしてくる。

腰布に棒切れの男からかなり遠くまで来たような気がする。そいつが1万年前になんか食うものがなくて寒くて死にそうな夜に月を見たかもしれない。あんたの子孫が、もっとずっと後だけどさ、ロケットでズババって飛んであそこまで行ってピョンピョン歩くんだぜ、っていうことを言語は分からないだろうから、直接テレパシーみたいな感じで腹ペコの原人に教えてあげたらどうだろう? 理解できるのだろうか。とにかく、僕の感じた驚きはそのことだ。すべてが起こった今、事後的に、神の視点で人類の足跡を振り返ることができる。まさか地上を這いずり回っていた腹ペコの原人がやがて数学や物理学を発明し、ロケットを飛ばして月まで行くようになるとは! この途方もなさはすごい。