A Note

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少し前にシーシェパードの活動家たちがずいぶん頑張っていた。彼・彼女ら(日本語にはtheyがない)の活動を伝えるニュース映像を目にして僕が考えていたのは、"そうだクジラを守れ" ということでも "いやむしろクジラを食わせろ" ということでもない。そもそも僕はクジラを巡って行われている日本対欧米の権力闘争には全然興味がない。僕が考えていたのは、何か大義のために闘うことは人間に生きる意味を与えるだろうということだ。クジラの保護に全く興味はなかったが、少なくともあいつらの毎日がある種の強度に満たされていることは間違いないと考えて羨ましかったのだ。

何か人類全体の利益になるとか公共の福祉を増進すると自分が信じる目標を達成するために持てる力の全てを発揮し、仲間と共に作戦を立案し、それを遂行するという日常は、おそらく大勢の人間がその中で過ごすことを余儀なくされている怠惰や退屈で満たされた毎日とは無縁のものになるだろうし、一日一日がそれぞれ違った輝きを帯びてくることだろう。

普通の会社に勤めて、仕事が終わった後で仲間と酒を飲むのは楽しいとか女といちゃついたりするのが楽しいとかそういうことはもちろん楽しくないわけではないが、そういう俗な、一般的な意味を超えた歓喜や強度に満たされた人生を生きるためには、何かこれが自分の仕事だと強く信じ込めるほどのものと、その領域である程度は成功できるくらいの能力とが必要だ。決まり切った書類の作成や得意先回りで埋め尽くされるような人生にも楽しみがないわけではないだろう。妻を持ってそのうちに子供でも生まれればそれなりに可愛いことは間違いないだろう。しかしそれでは満足できないとすれば別のやり方を探す必要がある。

生きているのか死んでいるのか分からないような日常を超えた強度に満ちた人生があり得るとしたらどんなものか。もちろんムスリムに改宗してパレスチナのゲリラになるというのも一つの手段ではあるだろう。しかしもう少し穏健なやり方で強度を追求できないものだろうか。