A Note

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自分はなぜ商売でもないのに、飽きもせず定期的にここを更新し続けているのだろうと考えてみた。たぶんストレス解消になっているのだ。自分の中でいまだ明確な形を持つことなく渦巻いている日々の怒りや悲しみ、喜びなどの感情を言語化して一つの文章にまとめ、Web上へ投稿して捨てる。そのたびに、ちょうどこぼしたミルクティーを拭ったティッシュペーパーを丸めてゴミ箱へ放るときに感じるのと同じような、ごくごく小さなカタルシスを得ているのだ。そしてその推測が正しければ、ここはつまり僕にとっては個人的な感情のゴミ捨て場として機能しているということになる。僕自身ここへは半ばやけくそな怒りの表明や意地悪い皮肉ばかりを書いているような気がするから、そのような自覚によってもその少々ネガティブな名付けにはうなずける。ただ、ゴミ捨て場はというのは必要なものだ。ゴミ捨て場が大好きでたまらないという人にはなかなか会えないが、しかしゴミを燃やす施設も、それを埋め立てる場所も、それがなくなれば人間の営む社会生活がまともには立ちゆかなくなってしまう、とても大切なものだ。きっと下らないことや真面目なことを何でも勝手に書き捨てられる空っぽの場所を必要としていたのではないだろうか。

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よく人のと自分の人生とを比べて勝手に勝ったり負けたりする人がいるみたいだ。ほんとうに下らないし浅はかだと思う。ところがそう批判しつつ自分でもそれと同じことをやってしまう。だから他人に向けて放った透明な矢がその人を貫通し、地球を一回りして自分の背中に刺さるのを感じる。"あ、この人には身長では勝ったけど、ただ顔は向こうの方がいいな、でも頭はどうなのかな? 頭って、頭の中身とかそういう意味だけど"  そういう下らない、あまり上品ではないことを考えてしまう。考えるというほどの時間ではないのだが、人間と人間とが会えば双方でそのような判断は0.1秒くらいの一瞬で、別に意識的な行為としてではなく勝手に行われるのだ。下らないが人間を前にして人間がどうしても計算してしまうことで、馬鹿には出来ない。

そしてみんな結局はそんなふうに無意識的に絶え間なく行っている他人と自分との無数の比較を積み重ね、それによって個々人の中に構築した膨大な関係のデータベースを逐次参照することによって、自分という人間がこの世界で占める大まかな座標をようやく同定している。無数の他者との間に張りめぐらされた関係性のゴムによって人間は宙づりにされ、それでようやくこの世界のある一点へ自身をゆるやかに固定され、精神的な安定を得ているのだ。だからもし、と考える。もし地上から一切の他者が消えてこの世界に自分しかいないという状況へ投げ込まれたとしたら、そのうちに自分で自分が誰だか分からなくなって、最後には発狂してしまうような気がする。なぜならそれまでの世界で自分を自分たらしめ、自らの世界に占める位置を確認することができていたのは良いものも悪いものも、弱いものも強いものも含めて無数の他者と結んでいた無数の関係によってであるはずなのに、その一切を喪失してしまったからだ。

この世界でもし完全な孤独でいたとして、自分が自分であることを確認するためにはただ顔を映して見ることの出来る静かな水面さえあれば足りるだろうか。おそらくそうではないと思う。もちろん自分の顔を水たまりに写して見ることができるだろうし、本人がそれを画像として認識することもできるだろう。しかし他に一切比較の対象が存在しない世界においては、その顔はおそらく誰にもなりようがないのだ。従ってその人は誰でもありようがないし、誰かであるということができない。