A Note

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虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)


最近この小説があちこちで絶賛されているのを目にするが、はたしていつ出たものなのか? これまでに一度も聞いたことのない著者で、今までは、たぶん1983年頃にひっそりと出版された知る人ぞ知る玄人好みの作品なのだろう、その書名を僕は偶然にも同時多発的に様々な場所で見かけているのだろうくらいに思って、特別な興味も持たずにいた。ところが今こうしてAmazonで日付を確認すると発売日は今年の2月10日で、たった1月前だ。全くの新刊だと分かったし、しかも著者は既に亡くなっているということも知った。僕がこれまでの人生で読んできて最も自分の根底から揺り動かされ、強力な影響を受けている小説はミシェル・ウェルベックの "素粒子" で、この小説は僕の世界観そのものを完全に作り変えてしまったと言わざるを得ないのだが、上の小説にも何かそれに似た、読む前と後では同じ人間ではいられなくなってしまう類の経験を期待することが出来るのだろうか。近いうちに読んでみたいが

僕も自分なりの "素粒子" を書いてみたいと思っている。しかし不思議と書き始めないのだ。何をしているのだろう。きっとこういう人間は一生書かないのだ。しかしそのような醒めた客観的な評価とは無関係に、もし自分で何か小説を書くのなら、などと考えたりする。"ウェルベック素粒子くらい圧倒的な水準で書けないならそんなものはウンコと一緒だ"  全く偉そうなものだ。ただ僕は素粒子には本当に影響を受けていると思う。普通の能動的な意識では検知することができないほど深い部分まで毒が回っているような気がする。


追記:著者の簡単な略歴を見つけた。あとやっぱりハードカバーの文庫化だった。

伊藤 計劃
1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒。2007年、『虐殺器官』にて作家デビュー、「ベストSF2007」国内篇第1位を獲得する

武蔵美に在籍した作家としては何と言っても村上龍(中退)が有名だけど他に誰かいたかは知らないな。

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【41】200万円与えて息子に世界一周をさせなさい

シマジ  連載22回に書いたが、俺は30年以上前に、天才アラーキーとともに世界の娼館を経巡った。この旅でブラジルにも向かったんだ。リオに到着してイパネマのビーチに出ると、向こうから水着姿のいい女2人組が近づいてくる。「ハーイ」と声をかけて、オープンテラスのカフェに誘ったんだ。4人でビールを飲み始めてしばらくすると、女2人がテーブルの下にもぐり込んで、俺たちのズボンのファスナーを開けて、いきなりしゃぶり始めた。アラーキーと俺は、互いに顔を見合わせ「何という国だ」と言って大笑いしたよ。もちろん、そのまま彼女たちを連れてホテルにチェック淫だ。

ミツハシ チェック・インです。

今すぐブラジルにチェック淫だ。似たようなことを坂本龍一がどこかの雑誌で話していたのを思い出した。何でも彼の友達がブラジルに移住したのだが、その人は向こうではどんな若くてきれいな女性も簡単に寝てくれるので最後には掃除婦のおばさんみたいな人にしか欲情しなくなったとかそういう、正確に元のままではないかもしれないがたしかそういう話だ。本当だろうか? 何にせよ、後ろめたい気持ちは一切抜きで女性が積極的に男漁りをすることができるのはいいことだ。男がずっとしてきたように。ブラジルは暖かそうだな。若くて綺麗な女性が面倒くさい手続き無しに寝てくれてその上に気候が良いなら、サンパウロあたりの道を車で走っていて金目当ての強盗にいきなり撃ち殺されたとしてもそんなことが大きな問題だろうか。問題どころか、痛くないように一瞬でしてくれるならそれも望ましい死に方の一つだとさえ思える。長生きした45年後に80歳で末期の癌が全身に転移して苦しみながら死ぬのと、35歳くらいで路上強盗にやられて一瞬で死ぬのとどちらがいいのか、実は本当のところはよく分からない可能性がある。

それに夭折するのはなんとなく格好いいのだ。若くして死ぬ人は老いて醜くなった姿をさらすことがない。大体どこに住んでいようと人間死ぬときは死ぬものだ。一生に一回は誰でも必ず死ななければならないんだから死ぬのはもう仕方がない。死なないためには最初から生まれないに限る。だからこの日本という国と自分自身とに嫌気が差して何もかも破壊したいと思いながら暮している若い人間は "死ぬかも" とか考えずに思い切って海外に活路を求めることも考えてみるべきだし、目的地の一つとしてブラジルという国が候補に挙がることは決して不自然ではない。何せGoldman Sucksのアナリストが発明したとかいう呼び方(そうでしたか?) "BRICs" の先頭だ、一時は栄華を誇ったものの今後は沈みゆくばかりとも思われるこの愛すべき日本を考えるとき、今後ますますアツくなってくると思われる地球の真裏の国へ希望を求めることが実は合理的な選択である、そのような可能性がないだろうか。それにしても下ネタを枕に始めた文章だったのだが、やはり僕は根が真面目なのか、最後にはやはりこの国の行く末を憂う真剣な話になってしまった。