A Note

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スケートボードスノーボードとではそれぞれの板の得意とする接地面の質が大きく異なるが乗り方は似ている。横乗り系のスポーツがそもそもネクタイなどという格式張ったヒモを単に首吊りのためのものでしかなく不吉だと退けるところから始まったのだとすれば、今回ワイドショーに十分なネタを提供してここまで常に話題の中心だった国母君が決して自分のやり方を崩さなかったことは当たり前の話で、彼は単に自らの育ってきたところの流儀をオリンピックという場所においても貫いたのに過ぎない。彼にとってオリンピックというのは多くの人々が注目する機会ではあれ、あくまでも自分がこれまで世界を転戦し参加してきた大会のうちの一つに過ぎないだろう。ボーダーとそれを取り巻くカルチャーはおそらくその当初からスーツを仕事着として一生を過ごす暗い顔をした人々に対する紛れもないカウンターとして発祥し、また育ってきた。だから今回国母君とスーツの人々との間に発生したコンフリクトはきわめて当然のものだった。そして世代を超えて理解し合うのは難しい。僕は現在あと数年は30歳にならないという位置にいるが、人間が75歳まで生きるとすればまだガキと言っていいだろう。若さのみが尊ばれるこの世界では30ともなれば問答無用でオバサンオジサンのカテゴリーに分けられてしまうのだが、しかしオジサンと言っても30歳程度の人間は70歳80歳の人々から見ればまだまだガキだろう。僕も本当に礼儀を知らないクソガキで "ジジババ" とひとまとめにして年を重ねた人たちのことをよく馬鹿にしてしまって反省するのだが、ともかく "ジジババ" の側にとっても、"ガキ" の側にとっても、generation gapを飛び越えるのは容易な技ではないのだ。

シャツのボタンを上まで締めず、すそはパンツから出し、ネクタイはルーズにするという彼を有名にしたあの着崩し方は象徴的なもので、僕の考えではあれは単に国母君の人間がだらしないからああなってしまうのではない。なぜそう言えるのかというと、単にだらしないだけの人間がオリンピックのメダル候補になれるとは僕は思わないからだ。あれはボーダーのユニフォームみたいなもので、きちんとした着方なのだ。ただ大勢の考える "きちんとした" の基準に適合していないというだけで、あれは国母君のきちんとした着方だ。そしてあのスタイルそのものがこの社会における無言の要請へのカウンターとなる。つまり "きちんとネクタイを締めて、シャツの裾はズボンに入れて、毎朝会社に通え、口の臭い頭の悪い上司の下でも我慢して働け、なぜならそれが人生で、他のやり方はないんだ"  このような要請は明確に拒否するということを、服の着方によって表しているということだ。今回彼が一貫して個人であり続けたことがある程度多くの人々を刺激した。特に毎朝ネクタイというヒモをきちんと首に巻き付け、車両に詰め込まれ売られていく牛のようにして会社に通い、昼時になればクソ不味い社食で飯を食うしかない可哀想なサラリーマンなどは、彼のふてぶてしい態度を見て大いにムカついたことだろう。その気持ちは僕も分からないでもない。しかし僕としてもそういうおっぱいを機械につながれた牛ちゃんのような人生はごめんしたいのだ。自分は何か一つのことに国母君ほど秀でた天才を持たないが、しかし凡人なりに何か他のやり方、alternativeなやり方がねえもんかなぁと思っている。働き過ぎで死ぬ気はないし自殺で人生を終わらせる気はない。もっと他の楽しいやり方だ。僕はペシミストだが楽しく生きることが大事だと思っている。

最後になってしまった。国母君お疲れさん。結果は決して良くなかったけどかっこ良かった。僕もせっかくこんなとこに住んでるわけだし首の骨を折らないようにハーフパイプやってみたいとさえ思いました。何年か頑張ってもショボくしか飛べないだろうけど少なくともローカルの女の子くらいは格好つけて騙せるようになりたいなぁという目標です。何せこれからは地方の時代であるとも聞きますし、それにローカルヒーローの地位だってそう悪いものではない。ただ、それでももし本当に終わってるほど下手くそだったらそのときは意中の子の目の前で思い切って足の一本くらい折って、想像を超えた情けなさでもってアピール。同情を買うという捨て身の戦略も考えてます。OKOK. Thank you very much, Kazu "the vancouver rebel". Pikachu!!