A Note

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部屋で踊りも足踏みもせずに、しかし広義のDance Musicを聞くときに楽しめるのはアルコールを入れているときだけだと思う。個人的には程よく酩酊してふやけた頭に大音量で流し込むようにしてHouseやTechnoやTech-Houseを聞くのだが、みんなそうなのだろうか。僕は宇多田ヒカルの曲では "traveling" が一番好きで(これはダンストラックだから話が全然違うところへ飛んでしまったということにはならないだろう)、彼女の真骨頂は一般的に思われているようにバラードにあるのではなくて、この種の "アゲアゲ" のトラックにこそあると思う。"traveling" は素晴らしい出来だ。"胸を 寄せて いつもより目立っちゃおう" "窓を 避けて 何もこわくないモード"  女性が恥じらいを脱ぎ捨てて大胆になる瞬間を臆せず歌った、宇多田ヒカルの可愛らしさがよく表れたリリックであると言えないだろうか。彼女は最近は何をしているのか? ("コンソメパンチ" 味のポテトチップスをかじりながら) 僕の願いはみんな幸せになって欲しいということだ(唐突だが…) もちろんこんなことを言うのはnaiveすぎるだろうし、感傷的すぎるだろう。しかし人間は様々なことで苦しみすぎるのではないだろうか。僕が神だったらもう少し人間の人生が楽になるように世界を設計した… もしも人間の頭の上に神がいるとしたらどうしようもないやつだろう。悪意に満ちたやつに違いないね。Peace.

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リアルグレート


映画 "ファイト・クラブ" を見ていた。何年か前にも一度見たことはあったのだが見直していた。これがなかなか面白い映画で、人間というのは精神的・肉体的な痛みによって生の実感を得ているのだということを "肉体的に" 思い起こさせてくれる。ついこの間には原作となったパラニュークの小説の方も読んだのだが、小説の方はエンディングが映画とは全く違うものになっていた。読んだことがない人にはおすすめできる出来だ。守衛付きのコンドミニアムに所有する高層階の一部屋を、Ikeaのカタログから選んだ小綺麗なソファやテーブルによって満たすことで人生から満足感を得ていた30過ぎの男。しかし彼はそのような自分のことを本当は憎んでいた。クソみたいな仕事にしがみついて、ムカつく上司に頭を下げ続けて、部屋に揃えた家具によってしか自らを証明することもできずに、自分はこのまま生きていくのか。組織の中でかなりの程度自分を殺して生きていかなくてはならないサラリーマンにはきわめて普遍的な葛藤ではないだろうか。そこへタイラー・ダーデンという男が現れる。この男は自分とは違った。頭が切れ、アナーキーで、順法精神という言葉など最初から知らなそうだ。服装はどこかのロックスターのようで、ユーモアにあふれ、しかもセックスも強く、そして暴力を自在に操った。それまで家具を買い集めることだけが生きがいのショボいリーマンであった自分が憧れていた要素を全て兼ね備える男に出会ったのだ。そして物語が転がり始める。

上のリンクについて言及するとこれはディルドーだと思う。見たところそうだ。しかしその大げさな名前から想像してしまうほどのサイズはないようなので、心配性の殿方も安心。"全長:11.5cm 太さ:3.2cm" ということだから、大抵の日本人の男は "リアルグレート" を見て脅威を覚えることはなさそうだ。なぜ大人のおもちゃ屋に飛ぶリンクを張ったのかというと、"ファイト・クラブ" を見ていてそれに言及している箇所があったのを思い出したからだ。作中で主人公が飛行機に乗るシーンがある。私たちは狭苦しい座席に詰め込まれ移送される前に、手荷物以外はあらかじめ空港職員に預ける。それら大きな荷物はまとめて貨物室に搬入され、一緒に目的地まで運ばれる。さて目的地に着いて預けた荷物を受け取ろうとするときにいつまで経っても出てこないことがある。そのようなときにある理由で荷物が空港の奥へ留め置かれていることがあるのだそうだ。それは荷物から何かが振動するような音が聞こえてくる場合だ。空港職員は最悪の事態を想定しなければならない。いまどきわざわざ振動して自らの存在を周囲に知らせるような爆弾を仕込むテロリストなどどこにもいないだろうが、それでもそのような可能性を想定して対応しなければならないという。そしてもちろんそのような場合に爆弾が出てくることなど万に一つもなく、実際には9割がシェーバーで、1割が電動のディルドー、いわゆるバイブレータだというのだ。本当か嘘か分からないが、この話は映画で描かれるだけでなく原作の小説の方にも書かれていた。著者が誰か空港職員に取材して書いたのかもしれない。ただ、上の "リアルグレート" に関しては電動ではなく、もちろんモーターなどの機構が仕込まれているわけでもないため、常に大人しく主人へ付き従う従僕に過ぎないと言えそうだ。従って予期せぬ振動を恐れる必要もなく、世界を飛び交うジェットセッターが行く先々へ気ままに連れて行くことも可能である。最後にもう一度商品のスペックについて言及しておこう。"全長:11.5cm 太さ:3.2cm" 価格は "610円(税込640円)" となっている。

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そろそろ年の瀬だから、"死ぬ気になれば何でもできる" という言い方について考えた。たしかにそうだろう。大抵の人は死ぬ気になれば何でもできるだろう。しかし問題は、普通に生活していては死ぬ気になどならないというところにあるのではないか。"おれだって死ぬ気になりゃ色々できるんだよ……できると思うよ、いや……できるよ!"  色々できるのかもしれない。しかし実際に死ぬ気になれないことにはどうしようもないのだ。死ぬ気というのは文字通りの意味で命の危機を感じる経験のことだ。例えば夜中の人気のない街を歩いていて二人組の男に銃を突きつけられて脅されるとかそのようなことだ。"今日中に女を口説いてホテルに連れ込めなければお前を殺すよ、マジで" と言われてしまう。その二人組がなぜ平凡な男の自己啓発活動に協力してくれているのかは不問にしよう。"ぱっと見は怖いけれども実は優しい人" なのだろうか。いずれにせよ、大抵の人間は銃を突きつけられて "ああ良かった、さっさと殺してください" とは言わないだろう。百戦錬磨の武士ではないのだから、いつ何時でも死ねるという覚悟ができているわけではないだろう。当然その男は命が惜しい。だからどこかの居酒屋なりバーに入って、カウンターで一人で飲んでいそうな女性を見定め、一生懸命に面白い話をし始め、彼女の気を惹こうとするのではないだろうか。失敗すれば命がないという状況では、彼はまず一生懸命やるだろう。死ぬ気になれば…というのはきっとそういう状況のことだ。だからまず死ぬ気になること自体がとても難しい。誰かにある条件を設定され、それをクリアしなければ殺すぞと脅されなければならない。しかし普通に生きていてそのような状況に陥ることはほとんどない… だからまず "死ぬ気になる" という状況を招来するために死ぬ気で頑張らなければならない、そんな気がした。