A Note

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死都ゴモラ―世界の裏側を支配する暗黒帝国

死都ゴモラ―世界の裏側を支配する暗黒帝国


もし自分が将来的にはものを書いて暮らしていきたいという希望を持っている人間で、そして特にノンフィクションの分野に志を持っていたのだとすれば、この本を読んで絶望していたのではないだろうか。イタリアで原著が刊行された時点でまだ27歳でしかなかったという著者の圧倒的な実力が一度読みさえすれば理解できるからだ。27歳のデビュー作でこのようなものが書けるのは一言でいって驚きだ。既に全世界で400万部が売れたというこの本は主にイタリア南部ナポリ周辺に巣くう悪の姿について書かれている。つまりカモッラと呼ばれるマフィア組織がどのように抗争を繰り広げ、気に入らない人間を始末し、地下経済を牛耳っているのかが具体的に描き出されている。著者は比類のない勇気と悪への憤りをもって組織へ潜入し取材する。朝5時に起きナポリの港の海上で別の船と落ち合い、いまだ税関を通していないスニーカーを非合法に荷揚げする作業に参加し、抗争の過程で始末された者たちの死体が血の海に転がる街中をヴェスパで走り回る。取材の緻密さや書き手の誠実さ、意に沿わない人間を始末することを躊躇わない組織の内情を告発する勇気などの様々な点でこの本は明らかに凡百のノンフィクションとは水準の異なる作品になっているのだが、加えて著者の用いている叙述のスタイルにも注目すべきものがある。これは彼が大学で哲学を修めているということとも大きく関係するように思えるのだが、時に難解だとさえ感じられるほど濃密な文体は非常によく練り上げられた高度に思弁的なもので、この点に関しても普通のノンフィクションとは一線を画する。

Webで検索して知ったのだが、著者にはこの本の刊行後に書かれている内容を快く思わなかったある組織から死の脅迫があったため、イタリア内務省から終身のボディーガードが付けられ、現在も国家による護衛の元で生活することを余儀なくされているということだ。彼には書いてはならないことを書くだけの勇気と誠実さがあったが、その勇気と誠実さの代償として殺し屋から命を狙われずに済む自由で平穏な生活を失ったことになる。著者の無事を願いたい。この世界で正義*1という言葉がまったくの死語となってしまわないことも。

*1:しかし正義という言葉は難しい。簡単には使うことができない。この世に正義が1つしかないならそれでいい。しかしそうではない。正義はその言葉を口にする口の数だけある。正義が2つある。そこから流血の事態までそう遠くはない。だから自分が正義だなどとは言いたくない。しかし絶えざる自己懐疑だけでは気が狂ってしまうだろう。ある程度傲慢に "私が正しい" とか "私は善い" などと言わなければならない…