A Note

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YIDFF 山形国際ドキュメンタリー映画祭2009


僕は最近ドキュメンタリーの方が好きだ。作り物の映画がつまらなく思えてきた。もちろんドキュメンタリーだって何百時間の素材を細かくちぎってそれを組み立てる。そしてたった90分に縮めるものだから、それは紛れもない作り物だ。しかし何にせよ、映像を編集した者のフィルターを通して再構成されたものでしかないにせよ、依然としてそこには完全な作り物とは全く異質のざらついた現実の手触りや決まりの悪さ、緊張がある。そのような要素は書かれた脚本通りに撮っていく映画からはどうしようもなく抜け落ちてしまう。映画を見ていてもっともらしく撮ってはいるが所詮これも演技でしかないからなと思うことがある。実際演技でしかないのだ。そう思ったらもう冷めてしまうし続きは見られない。一方ドキュメンタリーは脚本通りにしか撮れない映画のその限界を超えることができる。もちろんドキュメンタリーにおいても撮られていると意識することによってどんな素朴な被写体でさえも演技するだろう。しかし俳優ほどわざとらしくならなければそれで満足だ。下手くそでわざとらしい演技ほど幻滅させるものはない。ドキュメンタリーは少なくともその種の失望は与えない。それがいいところだ。

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