A Note

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使用しているはてなのテンプレートによってリンクが張られているかそうでないか区別がつかないのですが、以下の文章における固有名詞にはリンクが張られている場合があります。いちいちマウスオーバーすることで分かります。Cubaのmaster of dirty realism,  "Pedro Juan Gutiérrez"のおそらく作家としてのデビュー作が"Dirty Havana Trilogy"なのですが、Amazon.comで最初の数ページを立ち読みすることができました。特徴的であると思われる箇所を少しだけ日本語にしてみたいと思います。彼はキューバに生まれ、11歳からアイスクリーム売りとして働き始め、様々な職を経たのちにジャーナリストとして26年過ごしたそうですが中年になってから、その人との間に二人の子供をもうけていた妻と離婚し、そして人生の深刻な危機に陥り、精神的にもかなり追い詰められたということです。そのような状況の中で正気を保つために小説を書き始めたと彼はあるインタビューで語っています。文章についてですがたしかに見方によってはdirtyとも言えますが、単に現実を克明に描写しているに過ぎないとも言えるわけで、その判断は読み手に依存するでしょう。


以下は小説の1ページ、二段落目の訳です。自らの人生にほぼ忠実に書かれた作品であるということですから、ここでは妻との離別に引き続き訪れた個人的な危機について書かれているものと思われます。

そして私は何一つ真面目に受け取らないようにするためのトレーニングを始めた。人間には小さなミスをたくさん犯すことなら許されているものだし、そんなものなら全然問題ない。ただ、犯してしまったそのミスがとても重大なもので、それが自分を責めさいなんでくるようなときには、何一つ真面目に考えないということが唯一の解決策になるような場合がある。それが苦しみから逃れるただ一つの方法だ。苦しみというのも、長引くと、命に関わる。


以下は2ページ目から早速始まる行為の描写を訳したものです。おそらく小説の全編がこのような怒濤のセックスで満たされているものと思われます。

Margaritaは私の家の近くに住んでいた。私たちはしばらく会っていなかった。向こうに着いたとき、彼女は体に汗をにじませて洗濯をしていた。彼女は私を見て喜んだ様子で、そしてシャワーを浴びに行こうとした。私たちはそのときにはもう20年以上もいわば不適切な関係にある恋人同士で、会えばまず何よりも先にファックして、そして終わった後にくつろいだ話をするという感じでやっていた。だから今回も、彼女がまずシャワーを浴びようとするのを許すつもりはなかった。私は彼女を脱がせて体中に舌を走らせた。彼女も同じようにした。私を脱がせ、体中を舐めた。強い日差しの下を自転車で来たせいで私も彼女のように汗だくだった。以前そうだったような骨と皮みたいな痩せこけた感じとは違い、彼女は健康的になりきちんと体重を戻していた。尻はしっかりとしていて丸く、肉付きがよかった。彼女はもう46歳であるにも関わらず。黒人の女性というのはそういうものだ。筋肉質の体に脂肪はわずか、肌はなめらかで、吹き出物などない。私はしばらく彼女と戯れその体を楽しんでいたが、そうするうちにも彼女はもう既に三回イっていた。私はそろそろ我慢できなくなり、まずオマンコから溢れてくる愛液でペニスを十分に濡らした上で、彼女のアナルにゆっくりと挿入していった。少しずつ、少しずつ。そして彼女のクリトリスに手を回してこすりながら、入れたり出したりし始めた。かなり苦しそうではあったが、私は彼女が本当はさらに欲しがっているということを知っていた。彼女は枕を噛みしめていたが、しかしその表情とは裏腹に尻を上に突き出して根本まで入れてくれるように催促した。なんと素晴らしいのだろう、この女性は。他の誰も彼女のようにセックスを楽しむことはできないだろう。私たちは長い間そのようにして繋がっていた。やがて私がペニスを抜いたときペニスはクソまみれで、彼女はなんとも言えない表情をした。私は別にどうということはなかった。私には世界というのはそもそもこんな風にばかばかしく不条理な場所だという強い感覚があったし、たかがウンコごときで何かを感じるということもなかった。セックスというのは些細なことを気にする人には向かない行為だ。セックスというのは交換だ。体液の、唾液の、吐息の、体臭の、尿の、精液の、ウンコの、汗の、微生物の、バクテリアの交換だと言える。もしそうでないセックスというものがあるとしたらそれはセックスとは別の何かだろう。もしも生ぬるい優しさとその場の雰囲気だけでなんとなく行われるセックスがあるとしたら、それは何の繁殖力も持たない、本物の行為のパロディーみたいなものでしかないだろう。そんなのはセックスとは言えない。私たちはシャワーを浴びてから、コーヒーを飲みつつおしゃべりを始めた。彼女は私に、El Rinconまで一緒に着いてきて欲しいと言った。神様に誓った約束を守らなければならないので明日私と一緒に来て欲しいと言うのだった。実際のところ、私は分かったと言うしかなかった。彼女の頼み方はそれほど上手で甘かった。そしてそれは私がキューバの女性を大好きな理由の一つでもある。もちろん、決して断る気分になどなれないほど上手に、キューバの女性たちのような技巧で頼み事をしてくる女性はアメリカにも、アジアにもいるだろう。ただ、ヨーロッパの女性だけは別だ。ヨーロッパの女性はとても冷たい調子で何かを頼むので、それをかなえてあげようという気分にならないどころか、嫌だねと毎秒ごとに言いたくなるし、そうやって断ることに楽しささえ生まれてしまうほどだ。

Master of dirty realism. 英文はとても平易で、簡単に読めるということが分かりました。Amazon.co.jpで手に入るのでそのうち注文してみましょう。

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ただ、このアカウントでは僕は過去に死ぬほど恥ずかしいことばかり書いていたような気もしますから

自分でこう書いてしまってからその後で、しかし人間のすることで "死ぬほど恥ずかしいこと" など果たしてあるのだろうかと思いました。いかなる出来事であろうとも、それが既に起きてしまったのであればもはや肯定するしかないということは明らかです。過去の出来事を振り返って恥ずかしく思うということは過去の自分に対する背信であるようにも思えます。それに考えてみれば何かを書くということがそもそも恥知らずな営みなのですから、今さら何を言い出すのだろうという気がしました。

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こいつまだ生きてたのか。チェイニーお前早く死ねよ。お前がイラクで容赦なくぶち殺した人々の魂に囲まれて永遠に拷問される地獄に落ちろ。

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