A Note

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NHKスペシャル|第27回 トリアージ 救命の優先順位
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080414.html


>> 107名の死者を出したJR福知山線脱線事故。現場に駆けつけた医師や看護師たちは、これまで経験したことのない過酷な状況に立たされた。緊急度によってけが人を選別し、治療や搬送の優先順位を付ける「トリアージ」が行なわれたのだ。

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これは今日2008年4月14日(月)22時から放送される番組で興味を惹かれた。今回はアンコール放送で、前回2007年4月23日の放送以来 "第27回「地方の時代」映像祭 放送局部門優秀賞" を受賞している。

日本語Wikipediaにも"トリアージ"の項目はあるけれども、たまたま手元にある本から一節を丸ごと書き抜く。"ちょうちょ地雷 ある戦場外科医の回想" という本から。著者はGino Strada*1という1948年生まれのイタリア人外科医で、ミラノに拠点を置くNGO、Emergencyの創設者の一人。*2


以下に「ちょうちょ地雷 - ある戦場外科医の回想」からP.77-80を引用する。

14 選別の苦しみ


専門用語に「トリアージュ」というのがある。フランス語で選択とか選別という意味だ。紛争地域の状況は、ミラノにいくつもある病院とは、ずいぶん違っている。交通事故の場合、救急病院に運ばれると、患者はふつう、二人か三人の外科医に診てもらえる。虫垂炎になれば、手術室には禁欲的な外科医が待ち伏せていて、患者の到来を神の恵みのように思ってくれることもある。ところが、世界各地の戦場では、死にものぐるいで助けをもとめる負傷者はたくさんいるのに、救助できるのはごくわずか。外科医は、ほとんどの場合ひとりで、何十人という患者と対することになる。そこで、患者を選ぶ、「トリアージュ」の必要が出てくる。

最初にだれを手術室に運ぶか? そして、代わりにだれに、何時間も待てないとわかっていながら、待機を「宣告」するのか? 難しい選択で、ときにはそれがトラウマになることもある。世界中の医師が、希望者はたくさんいるのに、移植のための心臓がひとつしかないとき、似たような状況に陥っている。

しかし、野戦病院では、コンピュータの画面で名簿や数値と照らし合わせながら選ぶわけではなく、苦しみに歪んだたくさんの顔や、泣いたり懇願したりする人々、こちらをじっとみつめる目をまえにしながら、彼らの腕にフェルトペンで「2」と書かなければならない。「要待機」という意味の隠語である。だれかが死ななければならないと決めるのは、いや、死ぬ人間を決めるのは、あなたなのだ。それは必要なことだとわかっていても、やはり心が痛む。

戦時下では、「症状の重い人優先」という原則は意味をなさない。助かる見込みのわずかな患者を、三時間かけて手術することは許されないのだ。エネルギーと物資の浪費、そしてなにより、その間に、先に手術すれば助かるかもしれない別の患者が死んでしまう。

そこで、負傷者の「大多数のために最善をつくす」ようにしなければならない。この言葉を、毎回、それができうる最良の選択なのだと、自分を納得させるためにも、たびたびくりかえす。決してなまやさしいことではない。疑問や良心の呵責、無力感に苛まれることも多い。選択をせまられる役割に耐えることすら、容易ではないのだ。

数年前のカブールで、オーストラリア人の婦長、マーガレットが、わたしの腕をとりながら言ったことがある。「きて、中庭に、けが人がもう100人くらいいるわ。『トリアージュ』をしてくれなきゃ」

そのなかには、戦士がたくさん含まれているという特殊な状況で、彼らにはどこかくだけた雰囲気があった。ここ何日も、他の負傷者や援助に尽力するものに配慮することなく、われわれや病院を射程範囲においてきた輩だ。恐怖と怒りの入りまじった苦々しい思い、そして機関銃と迫撃砲の攻撃にさらされながら働いた重圧が、おしよせてきた。

腹に弾丸のつまったムジャヒディンをまえにしても、怒りを抑えることはできなかった。医師としての分別を保ちつづけるべきときにもかかわらず、乱れた感情と興奮で胸はいっぱいになり、哀れみの気持ちはかけらもなかった。認めるのは辛いが、何日もわれわれを脅かしてきたあの負傷兵たちなど、どうでもよかったのだ。

「マーガレット、『トリアージュ』は終わった。まず、こどもと女だ!」
「な、なんて?」
「そう、わかっただろう、まず、こどもたちに女たち。問題があれば、『トリアージュ』はほかのだれかに頼んでくれ」そう言うなり、返事も聞かずに手術室へもどった。

その日からしばらく、あの医学倫理にもとり、問題解決への理性的なやり方ともいえない選択のことを、なんども考えた。まちがいなく、あのなかで罪のないのはこどもと女性だけで、彼らは他人の暴力の被害者にすぎない。わたしに言わせれば、戦争をする者は、人を殺すために銃を放つなら、腹に弾丸を撃ち込まれることも考えておくべきだ。

それに、半時間まえまで自分に銃口を向けていた者を、どうして優先しなければならないんだ?結局のところ、あれは、いわば復讐のようなもので、医者が、控訴を許さない無慈悲な裁判官になりかわっていたのだ。そう言えるようになるまで、すこし時間がかかった。自分でも驚いていた。あの選択は、わたしの職業とはなんの関係もない。情状酌量の余地はあるが、結局、復讐には変わりない。いわゆる複数殺人の幇助、および救助の不作為にあたるかも?




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*1:http://en.wikipedia.org/wiki/Gino_Strada

*2:en.wikipediaによれば彼は学生時代からMarxistの活動家で、1978年に大学卒業の後は心臓移植医として10年ほど活動していたが、その後は進路をtrauma surgeryに転じ、1989から1994年まで国際赤十字のプロジェクトへ参加。Pakistan, Ethiopia, Peru, Afghanistan, Somalia and Bosniaなど世界各地の紛争地帯での医療活動に従事。その経験が彼をEmergencyの設立へと動機付けた。NGO、Emergencyは"地雷や戦争による負傷者の治療とリハビリを行う"