A Note

^_^

Magnum
http://www.magnumphotos.co.jp/


Magnum Photographers
http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/index.html



Magnum Photosは元は報道写真家の集団として発足し、そして報道写真家とは、国境にはとらわれずに地球全体をフィールドとして取材を行うものだ。しかし現在のMagnumのメンバーを見てみると、どうしたことか、その人員は極めて欧米偏重的な構成になっていて、現代の世界でアジア人の占めているプレゼンスの大きさと比較してみると、どう公平に見ても、アジア人のメンバーは極端と言っていいほどにに少ないということを気がついた。

これはその理由がとても興味深いことで、色々なことが考えられるとは思うが、アジア人としてはなにか腹立たしいような思いもある。Magnumに入りたいのですが、などとお伺いを立てているだけでは駄目で、別のやり方を探す必要がないとは言えない。

人員構成だけを見ると、我々人権の担い手たる欧米人が世界中で撮って回っているのだよとでも言いたげなのだが、しかしこの世界の悲劇というのは、何も欧米人だけが見たり撮ったりするために存在しているのではない。インドネシア人にも、ナイジェリア人にも、チリ人にも、日本人にも、報道写真を撮ることはできるし、見に行くことは出来る。どう考えているかは分からないが、別に欧米人だけが特別な使命を帯びているわけではない。もしもそう思っているなら、それは彼・彼女らの誤った思い上がりに過ぎない。馬鹿げた英雄主義に、笑えるメシアニズムに過ぎない。

Magnumの人員構成の問題点というのは、今回初めて気がついた。これまでは自分もcoloredではない欧米人のような気分で眺めていたからだろう。しかしそんなはずはなくて、向こうから見れば、日本人はcoloredであることに違いない。

自分を白人だと思っている有色人種というのが日本人なのだ。


このMagnumにおける人種の不均衡というのは実は単純な話で、Magnumへportfolioを持ち込んでapplyしてくる人数のうちの99パーセントが欧米人であるのだ、ということなのだろうか。もしそうであるならこの偏りに何ら憤る理由はないのだし、欧米人だけに撮らせておくものじゃないのであって、もっとがんばろうぜ、と僕はasia-is-one 的なことを言ってせいぜいアジるだけだろう。あるいは、全体のうちの50パーセントの人数は非欧米人によるapplyなのだが、そのうちのほとんどの写真家は、作品の質が基準値に達していないという、極めて正当な理由で加入を認められていないのだとか、そういうことであれば憤る理由などないのだ。


あるいは久保田博二さんにコンタクトを取れば、何か内部の人間以外には知りえないセレクションの秘密などを教えて頂けたりするのだろうか。


まあ、今は勝手に思い巡らすだけだ。


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妻と間男が昼間からセックスしているところを偶然に目撃した夫についてのジョークは有名だと思う。どんなだったかな。イタリア人は一緒になって楽しむ(バカかよ)、フランス人はスカトロを持ちかけて撃退する(汚いよ)、ドイツ人はガジェットを用いて工作する(何だよ) ……告白すると、これは本家のものとはかなり違う。単に忘れてしまったので僕が適当に書いてみたものだが、しかしこのジョークの落ちが日本人になっていたことだけは忘れていない。いわく、"日本人の夫は、二人の営みが終わるまで待ってから、名刺を取り出して間男に自己紹介をする"

これはもう、欧米では日本人の男はとにかくクソミソに、卑屈な黒ブチ眼鏡野郎みたいに言われているようで気が収まらない。日本人の男の一人としてかなりムカついているので、将来的にはこの状況を何とかしたいと思うし、フランス男やイタリア男から恋人を寝取って泣かすくらいのことはしてやらなければならないと思う。

現代の日本では、やがては世界に出て行って仕事をするような若いインテリ男性の世代からは、先行する世代の耐え難い卑屈さが消えて、世界で普通に振舞うための正常な自尊心を取り戻すことができつつあるようにも思うがどうか。

ここまで欧米で日本人の男がクソミソに言われているのは、これまで欧米で散々卑屈に振舞ってきた日本のオッサンやジイサンたちの責任でもあるので、彼らの存在の耐え難い卑屈さに責任も取らせたいと願う。しかし敗戦した黄色人種ということだから、劣等感は並みのものではなかったとも想像されるし、同情する余地があるとも思う。

他にも日本人が落ちに使われているジョークを探そう。


最近そんな新書もよく売れていたような気がする。


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前に見たオランダかどこかの英会話教室のCMでとても笑えるものがあったのを思い出した。そのCMはある晴れた休日に、父親母親に5歳の娘、8歳の息子というような家族が車に荷物を積み込んでどこかへ出かけようとする、"平和な家族" の情景から始まる。さて、準備は整い、家族四人が乗り込み、顔を見合わせ、みんなで楽しげに出かけていこうとするとき、父親は満を持して、カーステレオをONにして車内に音を放つ。 「……I wanna fuck you in the ass!!  I wanna fuck you in the ass!!」 それは激しく、どこか軽快な調子で演奏されるロックで、"お前の尻を犯したい" と延々と男が叫んでいるだけという、すさまじく頭の悪いもの、家族の休日に似つかわしいかどうかはやはり疑問に思えてしまうような歌曲だった。しかし家族四人は音楽に身を委ね、体さえ揺らしながら、意気揚々と目的地へ向けて出発していくのだ…。最後に、"ほら、英語は分かったほうがいいですよね?" 続いて企業名。そんなCMだった。


とても面白かったし、見たときにはかなり笑った。これは普通に考えて日本ではまず放送ができないので、やっぱりオランダはすごいということになると思う。海外のCMではセックスを始めとするいわゆる"危ないネタ" "際どいネタ"を扱っていることも多いみたいし、ラディカルな態度が感じられるものがあったりするのだけれども、日本のCMはもう本当につまらない、何の挑戦もないものが多いみたいだ。でも富士登山電通の中の人も、博報堂の中の人も、海外の制作者に比べて、別に頭が悪いわけでも才能がないわけでもないのだろうし、いろんな縛りがあるんだろうな、この国で作ることには。そう思う。フレデリック・ベグベデに、日本のデンツーのやつらはコカインなんてやったことがなくて…カンヌでは日本人だけで固まって…(そんなこと書いてたかな)、みたいに揶揄的に書かれてしまって可哀想だったのも思い出した。



まあ、頑張ろう、諸兄。(David Lynchの憤怒でも食らえ)



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極東の島国でangry young manの息切れするような独白体が聞かれたのを以下に採録した:



"
「赤信号。みんなで渡れば怖くない」


これが今までに知った中で最も卓抜で最も短い日本人論。みんなで渡ろうが渡るまいが赤信号の意味は変わらずに危険を示すサインなのだけれども、この国の人たちは赤信号や目視確認よりはみんながどうするのかだけを基準に自分の行動を導くので、すごい場合には、車が走ってきているのが明らかに見えているようなときにさえも、自分以外の人間が平気で渡りだすと、あ、私も渡らなくてはと思って渡っていく。もちろん車は走ってきているのだから、みんなまとめて吹っ飛ばされて死んでしまう。バカか。

しかしこんなことばかりやっている。一人で渡るのは怖いのになぜかみんなで渡るなら怖くないという、いかにも臭くてさもしいメンタリティが、日本人の行動をいまだにあらゆる水準で規定しているらしい。

研究者はノーベル賞が取れない。ノーベル賞を取るほどの人間というのは、赤信号だろうがなんだろうが、そもそも信号のことさえ最初から眼中になくて無視して一人で渡るのだし、その信号さえも自分で付け替えて勝手に常時青点灯にしてしまうような、半ば狂った人だろう。でもそういう狂った異能者を容れるだけの余裕をこの国はいつまでたっても持つことが出来ない様子で、だからノーベル賞クラスの人間はみんな破格の好条件をオファーされてアメリカに行ってしまう。バカか。

ともあれこの国の蕎麦はうまいし、寿司はうまい。日本食は素晴らしいとしか言いようがない。イギリスの食事のあまりの不味さは何百年の長きに渡って世界的な名声を博しているけれども、大英帝国などといってかつてはいきがっていたが今は見る影もないあの国に同情してあげたくなるほど、日本食は素晴らしい。大体、帝国を名乗るならせめてもう少しましな食事を取るべきだろう。食べ物の不味い帝国なんてバカにされ続けるだけだぞ。これはアップル・パイの他には一つとしてまともな料理をもたないアメリカの帝国主義者たちにも言ってあげなくてはならない。まあ、帝国主義者などというのはいつだって、人の家に勝手に上がりこんで物を盗ってから火をつけたり、現地の有色人種をバキバキにシバキあげて奴隷に仕立てるのに忙しかったので、食文化を育てるような暇もなかったのだろうけれど。

日本人がフランスを好きなほどフランス人は日本のことを好きでも嫌いでもない。フランスの側としては世界のはずれの極東で誰が何をしていようがどうでもいいわけだから、興味さえないのだ。誰もこの国に思想家がいるなどとは思っていない。せいぜいドゥルーズが口にした"ドーゲンヌ" くらいが認知されている日本の思想家か(ほとんど泣けてくる) 年中バッグを買い換えている金持ちの有色人種の島、くらいの認識がせいぜいだろう。パリ… 花の都というよりは糞の都。その心は、まるで花が咲くようにそこら中に犬の糞が咲いている。パリジャン、パリジェンヌ、花はとりあえず置こう、まずは犬の糞を拾え。"



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今日の夕方にスーパーマーケットで低脂肪乳と鶏肉を買ったときにCashierにいた、高校生くらいの割と背の低い女の子が、ちょっと可愛らしかったし、何より彼女はとても愛想良く応対をしてくれた。そのことで、束の間ではあるが、彼女は僕の心を明るくしてくれた。今日は休日だったわけで、たぶんそれまでに既に大勢の客をさばいて疲れてもいたことだろうに、健気なものだなと思った。こういうのを"小さな幸せ" と呼ぶのだろうか。僕はセンチメンタリストで、一生懸命に働いている細い腕のお嬢さん、みたいな人を見ると割と素直に、がんばれと思ってしまう。だからたぶん、僕にも素直なところがないわけでもないのだろう。

日常の小さな幸せをたくさん集めても、決してどこかの国のお姫様になれたり、庭から原油が出てきたりはしない。そんなに大きな幸せにまで育つわけではないが、しかし小さな幸せは、それはそれでいいものなのだ。思いがけないところに雑草がしぶとく花をつけていたりして、感動させられることがあるものだ。


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「人生至る所に青山あり」 日本中に青山という街はあるよ、という意味ではありません。青山とは骨を埋めるところなんだそうです。これで意味が明らか。つまり、与えられたいかなる場所へも骨を埋めてやろうというほどの覚悟で挑めないのであれば、そんなやつはとてもではないが使い物にはならないし、もちろん人生において何事かをなすなどということはありえないよ、というのでしょう。これは自分のような甘ったれた青二才には本当に耳が痛い言葉で、ただただ覚悟の足りなさだけが痛感された次第です。

(…もしかしてこの解釈は、世間一般に流布する正統的なものからは外れていて、僕の勘違いである可能性もあります。しかし創造的な誤読や誤解というものがありますし、僕はそちらの側につきます。それに間違いをこそあえて楽しむことができるほどの余裕がなければ、人間一人の人生というのは、朝起きてから夜寝るまでのあいだ、ただひたすらに取り返しのつかない間違いばかりを重ね続けるようなものであるわけですから、とても暮らしてなどいけません。災い転じて福と為す、というのは良い言葉です。)


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"人に説教するなんて最悪だ。愛に溢れているんだ、なんて言い訳にならないだろう。愛に溢れていようといまいと、そんなこと関係がない。大体が、人に説教を垂れるようなやつの愛は勘違いでひどいんだ……。そうでなかったためしがない……。人に説教するようなやつは死んだほうがいいんだ。そういうやつに限って、人に対して勝手に、下手糞なサイコ・アナリシスまがいの分析を施してみたりもするんだ……。お前はフロイトでもラカンでもジジェクでもないくせにやめろ……コロすぞ……。勝手に分析するな……。やるならせめてフロイトで論文一本くらい書いてからにしてくれよ……。そんなことより、肛門期とアナル・ファックのあいだには、口唇期とフェラチオのあいだには関連があるのかどうか、そこのところを教えてくれ……。こっちはそういうことに興味があるんだからな……。押し付けがましい。暑苦しいんだ…。もうどこかに行ってくれ…もうどこかに行ってくれ、分析家は……ハルキストは……"


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前に遠い親戚に当たる自分よりも少し上の年齢の女性に、若い男にはありがちの理想を語っていたことがあった。玉のような思い出とは言えないが、それを覚えていることは確かだ。世界のどこでも語られているはずの、angry young manによるmay-peace-prevail-on-earth 的な話をくどくどと述べていた。そして自分の才能が十分で、しかも運が味方してくれれば、それに少しでも貢献することのできるような仕事につきたい。彼女はもちろん、「そうだね、それはあなた、いい奥さんを貰わないと駄目だよ」と言った。言葉通りではないが、意味としてはそのことで、もちろん、彼女は人生におけるある種の正解を口にしてくれたのだったが、実は僕は、そのときにはあまりピンとこなかった。つまりまだ若かったのだ。一口に女性と言っても一人であるはずはない。左翼の女性がいて右翼の女性がいるし、情の深い女性がいて薄情な女性がいるだろう。金より大切なものはないと信じている女性がいて、金より大切なものがあると信じている女性がいるだろう。

彼女は女性の中で女性として生きてきた上でそんなことは見知っていたので、単にそれを言ってくれていたと思う。人間にとって、異性を選択するときに目を眩まされないことがいかに難しいか。この男は果たしてまともなのか。雑魚ではないのか。仕事はできるのか。そしてこの女は。妖婦ではないのか。ばかではないのか。花を愛しているのか。

実際に恋愛の中にいるときには、通常であれば難なく発揮することのできる、そのような適正で辛辣な判断力を、人はあまりにも容易に奪われてしまいがちだ。盲目にされてしまいがちだ。そして、"人は見かけによらない。これは驚くほどに真実です" ある哲学者からの忠告も、よくよく心に留めておかなければならないと思う。


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"…本当に賢い人しかfoolにはなれないのだという事実を見れば、決してfoolになれない人こそが本当のばかなのだということが分かるでしょう。大して賢くもないくせに、変に賢しらで、冗談一つ理解しない。そんな人は本当にばかだと思います。本当に賢い人というのは、もちろん、自分は賢くない、自分は何も知らないのだということを知っている人たちのことを言うのですから、だから、もしも自分は賢いぞ、何でも知っているぞと思っているような人に出会うことがあった場合には、ああこの人は無知蒙昧無教養でどうしようもないばかなんだなということが分かるわけです。これまでに、私は何でも知っているのだと語った人が何でも知っていたためしはありませんね。なぜならその人は、ご存知の通り、ばかだったわけですから。


人生の先輩だかなんだか分かりませんが、どうしようもないアホ面を下げているくせに、人を正座させて説教したり、自分の武勇伝を語って聞かせるのを生きがいにしているような若社長、そしてそれを喜んで拝聴しているような女性社員。こういう人たちは本物のばかで、おそらく処置無しと思います。ただ、このような場合には、私たち男性はよくよく気をつけて観察しなくてはならない。というのは、依然としてこの国では、女性たちは頭の悪い男性の吐き散らす糞にも劣るような言葉を喜んで聞くことを強いられている場合がありまして、それは言うまでもなく精神的な拷問として作用しており、社会的な大掛かりな不正です。ですからそのような場合には、とても頭の悪い男の得意げな糞みたいな説教を慎んで聞かなくてはならないとても賢い女性たちに、何もしてあげることはできなくとも、私たちはひそかに、ありったけの同情を寄せることとしましょう。


この世界では、ただ真面目であるためには、思想や哲学など何一つ必要としないはずです。ただ真面目であるためには、自分の頭を使って、何一つものを考える必要がないのです。世間一般では、思考を停止したままで既存の慣習や規律や道徳を墨守していくことこそ真面目なのだと思われているようですけれども、その人たちは、まず何よりも、自分の頭で真面目にものを考えるという人間としての義務を怠っているのですから、最も不真面目に生きている人たちだと言えます。個人的な意見ですが、おそらくそのような人たちは、生前に何一つ自分の頭を使って真摯に思考することがなかったという怠慢の罪でスパゲティ・モンスターに裁かれて、死ねばスパゲティ地獄に落ちるのではないかと思います。


さて、最後に、絶望の中でチャールズ・ブコウスキーの書きつけた希望の言葉を引用して。 "自由な魂には、会えば分かるものだ" "


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http://www.answers.com/fool







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F430
http://www.cornesmotor.com/car/ferrari/F430/


「…真っ白なF430のステアリングを握って、夜の首都高を、まるで散歩でもするように悠然と流してみたいものだ。モナコGPのシーズン、コカイン中毒のモデルを満載した長大なヨットで港へ乗り付けてみたいものだ。聖人を志すためにはあまりにも俗物過ぎる。この男はあまりにも金が欲しすぎる。名誉が、権力が欲しすぎる。自らの俗物性を本当に意識させられる。世界に仕える? 柄じゃないだろう。 ---- こうして彼はさっさと、将来の目標を変更したのだという。」


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「…本当にどうでもいい話や、聞くに堪えないほどつまらない駄洒落の話をしようじゃないか。 うん? …ゴダールの駄洒落があまりにもつまらなすぎるのを私たちは形而上学だと解してきた? 確かにその可能性がある。つまり、"ほとんど哲学的な水準でつまらない" それがゴダールであるという可能性。しかしゴダールのように性格の悪い道化は、今はおいておこう。あの男は本当に意地が悪いから、アンナ・カリーナも見切りをつけて逃げ出した。可哀そうなアンナ。ああ、アンナ。

さて、本当にどうでもいい話や、聞くに堪えないほどつまらない駄洒落というのは、真面目腐ってしかカフカを論じられないような人たちが醸し出す濁りきった空気、豆腐のごとくに凝固した空間をかき回し、和らげるだけでなく、時に時間を脱臼させて、もう歩けなくさせてしまう。だから素晴らしいんだ。…意味は分かるだろう?

真面目であることしかとりえがないやつらの時間を脱臼させて歩けなくさせよう。洒落を解そうとせずにポルノ漫画を焚書するPTAのオバサンたちの時間を脱臼させて歩けなくさせよう。次に、黒海の塩水をミキサーに入れよう。………できたか?! まだか?

よし、そうしたら、太陽に手を伸ばして欠片をもぎ取る。手が燃えるかもしれないと思っていたらできないよ。その恐怖を克服したときに手は燃えなくなるんだ。できたら、手のひらのうえで光り輝くそれもミキサーに入れてくれ。次に、これは難題だぞ、ゴダールの髪の毛、パゾリーニの精液、ブニュエルの唾、フェリーニの道、そしてこれは"レア" なのだが、ウディ・アレンの小鼻の脂を1ml手に入れて、それもミキサーに入れてくれ。できたか?!

……君! できたのか?! よし、よし、よし、よし、そうしたら、そうしたら、次に、次に、次に、次に、次に、」



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