A Note

^_^

          • -


四方田犬彦「狼が来るぞ!」「けだものと私」 雑誌への連載エッセイを集成した、二つとも雑文集ということになるのか。彼の名前だけは知っていて、今回初めて文章を読ませて頂いたのだけれども、これは気骨のある人で、しかも十分に野蛮で、戦闘的な人だと感じて、この人の書いたものをこれから少し読んでみてもいいな、読んでみたいなと思わされた。いつだって、確かな知性に裏打ちされた野蛮さだけが信じるに足るのだ。計算し尽くされた身だしなみの悪さ、まるで馬鹿のように自由な身振りだけが信じるに足る。

(これは何も考えずにそれらしいことを書いている)

          • -

" GOIN' GOIN' BACK TO MY ROOTS お控えなすって OLD SCHOOL NEW SCHOOL
  JOIN JOIN BACK TO MY ROOTS  手前どもは発する WE ARE THE BLUE


  GOIN' GOIN' BACK TO MY ROOTS お控えなすって OLD SCHOOL NEW SCHOOL
  SMOKIN' SMOKIN' BACK TO MY ROOTS  手前どもは発する WE ARE THE BLUE


   歯に衣着せず  飽きもせず  味をしめる  狩の季節
   長い冬が開けて    始めるぜ今から最後まで見ててくれ"


          • -

"誰もあなたのことをあなた以上に思ってくれはしないし、あなたのことをあなた以上に理解しようとはしてくれない"


あなたのことを大勢の人が褒めるかもしれないが、果たしてそのうちの何割の人が、あなたのことを理解した上で賞賛しているのだろうか。賞賛と批判。例えば日本のAmazonに溢れかえっているような、明らかに読めていない人たちの的外れの表出、感想文と呼ぶさえ憚られるようなものであれば、残念ながら捨てておくしかないのだが、しかし表現者というのは、明らかに読めていない批判だけではなく、明らかに読めていない賞賛にも戸惑うものだと思う。この人は私のことを褒めてくれているけれども、しかしどうやら、理解しているわけではないようだ。だとすれば、果たして喜んでいいのか、そうでないのか…。大体が、その場は感謝の言葉と微笑でいなして、後で一人になったとき、温かいコーヒーを淹れた上で、さっきの微笑を苦笑へとすげ替えた上で、身体を楽にして、人知れずため息をつく。そんなことの繰り返しになるのだろうか。そしてもしそうだとしても、それは仕方がないことだ。人と人との関係というものは、おおむね誤解しあうことに終わってしまうものなのだから。いつだって理解者は居て欲しいものだけれども、それはそれ、リルケの言う通りで、自分自身で自分自身の意図を把握して、たしかに理解してあげることができていれば、それで十分に満足すべきだということなのだ。


          • -


目覚まし時計を使っていたのだが、最近はそいつの手を煩わせることもなくなり、身体の要請で朝は起きていた。それでも目覚まし時計のことはたまに気にかけてはいた。この前ふいにその時計に目をやると、液晶の上半分が表示されなくなっていた(それは表示部に液晶を使用している時計だ) "1"にも"6"にも、"4"にも"8"にも、頭がなく、手もなく、下半身しかなくなっていた。じっと見ていると、"分" を表示する部分はやはり依然として一分ごとに切り替わっていくようなのだが、その数字は足だけになった今、何を伝えようというのか。何か心動かされるような感覚もあった。

"壊れたんだ" と感じて、そのときになぜか、軽い風圧を食らったような力を身体の前面に感じたが、不思議な感覚だった。別に、死んだ祖母の形見だとか、先祖伝来の宝物だとか、昔の恋人からの贈り物だとか、その類の"かけがえのなさ" 、アウラを帯びたものではないのに、その目覚まし時計の自壊を知ってそんな風が吹いたのは面白いものだった。そしてまたしばらく、その時計のことは忘れた。

今朝起きて見てみると、表示はすべて回復して、なおっていた。このところ居座っていた猛暑が過ぎ去り、気温が下がったために体力が戻ったのだろうか。回復すれば、酷使される。それでもたぶん、回復するのは良いことなのだろう。


BGM: "Clementine  -  Jeremie"

          • -


手元のメモから:


「新潮」9月号 由良君美について 四方田と坪内

四方田: やはり彼が新しいのは、T.S.エリオットを批判したことだと思います。エリオットの考えでは、文化とは正統的な正統性の内側にあるべきものです。しかしアウシュヴィッツの所長は夕方にリルケを読んで朝になるとガス室に出勤していた。このときのリルケとは一体何か。リルケを読む人間がガス室に関わるというところから、もう一回文化について考えないといけない、と言っていました。

          • -