A Note

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保坂和志が一貫して褒めているのを知っていたけれども、青木淳悟という若い作家の人は、確かに、本当に変なものを書いていて、すごく面白いなと思った。今までに読んだのは近作の「いい子は家で」だけなのだけれども、何よりとても笑えたし、本当に変だった。読み進めていくにつれて小説の骨組みなど軽々と脱臼させられていくようだし、人間は人間でなくなっていくようだし、僕は読み終えた後でも、このクネクネしたり、鼻から煙が出たりする小説を、少し呆けてしまいながら、両手で掴めたという手ごたえを覚えられなかった(もちろん、本自体は掴んで読んでいたのにだ)

「いい子は家で」を読んだだけで、日本の若い書き手の中では、将来に何を書いてくれるのかが一番楽しみに思える作家は彼だと答えたいようになっている。


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前にサンクトペテルブルグ出身のロシアの男性と話す機会があった。彼は流暢に英語が出来たし、僕はbrokenな英語ができた。


"…セントペテルスブルグはとても美しい街だよ。東西の文化がちょうどそこに融合するような地点でね、、、ほら、分かるだろう? 歴史のことだけどね。あの街は本当に美しい街なんだ。日本人の観光客もたくさん来るけど、あの人たちはみんなカメラやビデオで隙なく"武装" しているからすぐに分かるね。" "僕もいつか訪れてみたいと思っています。建築に興味があるんです" "それがいいよ。是非来てください。君は東洋人だから、あの街ではすごく目立つだろうな。外を歩いているだけで注目を浴びるかもしれない。" "もしかしたら、それも楽しいかもしれないですね。"


こうした過去の一場面、思い出の一つ一つが、綺麗な玉みたいなものだ。時どき取り出して眺めたり、撫でたり、さすったりしているうちに、それは輝きを増していく。つまり美化されていくのだ。


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村上春樹を読む男」


"僕の好きになる女性はみんな、心に闇を抱えてるんだ" なんて、とてもじゃないけどあなたに"闇" なんて口にして欲しくはないなあ、みたいな男ほど言いたがるような台詞だと思う。ナルシシストなら、そんないかにもな台詞が大好きで、恥ずかしげもなく言えてしまうのかな。そういう事例を耳にすると、意地悪な言い方をすれば、あなた「ノルウェイの森」を読みすぎたんでしょうという感じがしてしまう。他にも、よくありそうなものでは、"僕なら救えると思っていたんだ" とかは結構ありそうで、それは身勝手にもほどがあるのではないだろうか(もちろん、男の身勝手には限りなどないのだが) まずは、人が人を救うことなんて本当に出来るのか、人の痛みなんて本当に感じられるのか、疑問に思うことからではないだろうか。


(書いてしまってから、しかしまあ、この男は、なんという空疎な言葉をつむぐものだろう。自分でも嫌になる。書いてから、言葉に身体がないように思える。きっと頭で考えて組み上げただけの文章だからそうなんだろう。これは自分の中心から出てきた言葉ではないなというふうに思えるのは。それに、そんなクサすぎるBoys Beな台詞は、真っ先に自分が口にしてしまいそうだ。)


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でも偶然に、日本の、北海道の、札幌に生まれたというのは素晴らしく良いことだった。天の配剤というものが働いたなら、天は僕に目をかけてくれたのに違いない。


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妙に尊大になるか、卑屈になるかしかできないらしい。顔つきは険しくなり、言葉は刺々しくなる。財布はやせ細り、性生活は貧しくなる。食事は、、、水になる(いつか死んでしまう)

"生活に潤いが足りない" のか。もしそうだとして、どのような潤いを補給したらいいのか。確かなのは、美容液とか、ミネラル・ウォーターとか、そういうものではないのだろう。むしろ恵みの雨にこそ近いもの。降ってきて欲しいもの。

聖書にもあるように、やはり人間を、あまり長い間一人にしておくべきではないのか。

ところで、人間には、雨を制御することが出来ない。だからこそそれは恵みなのだ。


…雨乞いでもしようか(太鼓はない。踊り方も知らない)


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今までは白かった恋人が、たとえ黒くなってしまっても、変わらずに愛し続けること。おそらく、誰かを愛するというのは、そのようなことであるべきだろう。あなたが最も苦しんでいるときに側から離れていってしまうような人は、あなたのことを本当に愛していたのだろうか?

いや、むしろ、今や彼女は"黒" の意味を知って、妖艶さを増したんだ。魅力はさらに深まり、味わい深くなったのに過ぎない…。そう思うことができるなら素晴らしい。白いワンピースと黒いワンピースとでは、それぞれに、その身に付けられる文脈が異なるということを見ても分かるように、黒 ≒ 悪の魅力というのはあるものだ。大体、恋人に賞味期限があるなどという馬鹿な話は、今までに聞いたことがない。

賞味期限みたいな、どうでもいい小市民的な基準を持ち出して何かを裁くようなやつらは、さっさと死んでしまったほうがいいんだ。誰も彼も彼女もが裁きたがる。うんざりしてしまう。

そんなことばかりしているから、あなた自身が遠い昔に賞味期限切れなんだと思うんだ。賞味賞味というけど、あなたはそれだけの舌を持っているのか? 腐ったものを食べさえしなければ、二日や三日前後したところで、味の違いなんて分からないのではないのか? もしそうだとして、期限がどうだと騒ぎ立てることの、表面的でない、本当の意味とは何か?

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鞭で叩いたり縄で縛ったりするだけがSMなのではなくて、人と人との関係性や権力関係を巧みに把握して、それを自在に操作するだけの知性が要求される、あれはとても高度な遊びなんだ。


みたいなことは村上龍がエッセイに書いていたので、僕の独自に得た知見ではないが、その通りだろうと思う。


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"…僕はたぶん、fashion photographerと、war photographerになりたいんだ。その二つの領域で仕事をしている人たちについて、普通は、一方は地上で最も美しいものを撮る写真家で、一方は地上で最も醜いものを撮る写真家だと分けて考えてしまいがちなんだけど、実はそれは間違っていて、両者ともにその作品のなかに追求する要素には共通するものがあって、それは間違いなく"美" としか呼びようのない何かなんだ。だから本当に究極的なことを言えば、fashion photographerも、war photographerも、まったく同一の目標を、それぞれに違った被写体の撮影を通じて実現しようと試みているだけなんじゃないかとも思えるんだ。地上の地獄を写した一枚が、ほとんど一流の宗教画に似て崇高で美しいということがあり得る。

…ファッションの現場と、戦場の現場で、そのどちらが困難な仕事かは、それは分からないと思う。考えてみると、スタジオではたしかに流れ弾を食らう心配はないけれども、でも戦場では、モデルの気まぐれを食らう心配がないんだ! 場合によっては、銃弾と、美しい女性と、どちらのほうがより恐ろしいかは、実は分からないと思うんだよ………"


その夜彼はいつにもまして辛辣なレトリシャンで、アルコールも加わって饒舌だった。まるでフランスあたりの皮肉屋の哲学者みたいなことばかり話していたように思う。僕はしばらくは聞き役に回っていたが、飲みすぎたようで、そのうちにテーブルへ突っ伏して眠り込んでしまったらしかった。気がつくと既に室内には白い光が満ちていて朝で、彼の姿はすでに見当たらなかった。僕は酔いの抜け切らずに皮膚の袋みたいな体をキッチンへと運んで、コップへ水を汲ませ、それを飲ませた。彼はそれを飲み、また飲んだ。そして光について考え始めた。



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