A Note

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"友人は選べ" という言葉を少々刺激的な風に換言すると、つまり"下らないやつと絡むな" になる。もちろん、目の前の人が下らないのか、見所があるのか、全くの無能者なのか、才能の片鱗を覗かせているのか、それは各自が勝手に見て、判断すること。自分で判断がつかなければ、誰か信頼する他人に見てもらって、その人の助言を仰ぐこともできる。もちろん、他の誰よりもまず先に、自分自身が"下らないやつ" に成り下がっているという大きな危険性が常にあるので、くれぐれもこれを注意しなくてはならないと思う。だって、"下らないやつ" が、"あいつは下らないやつだ! おれはあんなやつとは絡まないぞ!" などと言っていたら、単なる笑い話になってしまって、周りから見ていて面白いだけだろう。そう、喜劇の誕生…

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Youtubeで見たけど、ランボーを、下らない酒を売るために使うなよ。馬鹿が。どこが手がけたのか知らないが、そういうことは止めろよと思った。なぜなら、ランボーは詩を書くために生まれてきたのであって、日本でどうでもいいような酒の販促をさせられるために生まれてきたわけではない。一般的に言って、死者を冒涜することは許されていない。

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http://www.war-photographer.com/

この画は何度見てもすごいので、また貼ってしまうのだが。誰か他に、ここまで行ける写真家がいるだろうか。

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独自のやり方を追求していこうとするときに、誰かから罵倒されたり、嘲笑されたり、無視されたり、孤立を深めたりすることは、別に恐ろしいことではないんだ…、などという綺麗な言葉は、今の自分にはとても口にすることはできない。なぜなら、それは確かに恐ろしいことで、僕は現にそれを恐れている。

しかしそれよりも、外的な厳しい環境よりもさらに恐ろしいことがある。それは、知らず知らずのうちに、外的な条件のあまりの困難さに恐怖して臆病になった自分が、次第に魂を売っていくということなので、つまり"敵は己のうちにある" ということ、それを知ることが大切、なんだ。

"怖いもの" に目を閉ざして、背を向けて逃げてしまうから怖い。その目で正体を見極めるまでは、それは永遠に怖いものであり続ける。勇気をふるって、目を背けずに見つめる。見なければならないのにも関わらず見ていないものがあるのをあなたは知っているはずならばそれを見る。恐れずにそれを"明晰に見る" と、そうしてみれば、それが全然怖くなどないということが分かるはず。これまでは怪物だと思って怖れていたいたものが、実は風に惑うカーテンでしかなかったのだということが分かるはずだし、そうすることで初めて、この現実へ深く絶望しつつ、それでいて極めて楽観的に事に当たる、そんなことも可能になるはず、なんだ。

私たちは見る、洞穴を見る、何かが潜む、朝方に見る、洞穴を見る、昼間に見る夕方に見る。見る、見るそして見る。朝起きて見る。寝る前に見る。私たちは見る、見るそして見る。


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TBHや、Shing02など、少数でもその魂を信じることのできる表現者が確かに歌い続けていてくれるのであれば、たとえヒット・チャートがどれほど陰惨な様相を呈していようとも、それを気にすることはないはずだ。

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The Official Site for Calvin Klein Underwear
http://www.cku.com/cku/


Calvin Kleinのジャケットやパンツを持っていなくても、Calvin Kleinのボクサー・ブリーフは持っているという人は多いかもしれない。Calvin KleinはUnderwearのメーカーとしても知名度が高い。くれぐれも、これはckone.comではなくて、cku.com。パフュームの名前ではなくて、下着のラインであり、WebsiteCalvin Klein本体とは別のドメインを取得した上で開設されている。画面下の青いバナーへ張られたリンクからは、"natalia's room" を訪れることもできる。"恥を忘れ、女性の部屋へノックもせずに入ってくることのないように"、映画にはそのような羞恥心を持って向き合うのだとペドロ・コスタは語っていたのだが、この部屋にはどうやら、ノックはせずに入ってもいい様子だ。


って宣伝みたいで、いったいこの熱帯夜に何をしているのか。もっと他にすることがないのか。何を上手いこと言っているのか。そんな場合なのか。


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村上春樹は将来的にはノーベル文学賞を獲るだろうと思うのだけれども、そのときに日本の文芸誌で誰がどんなことを書くのかが、今から少しだけ楽しみに思えている。

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"I love you." と "愛してる" の違いは、英語と日本語の違いと、もう一つは主語の有る無しだ。"私はあなたを愛する" という形で決然と述べられる英語のそれに比べると、日本語のそれ、"愛してる" は主語が欠けているだけに、そのあいまいさが際立って見える。日本語は主語を落として使用することのできる言語なので、その発言に責任を負うところの主体が、不明確になることがある。

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女性の作者の手になる、ある青年漫画 ---- いわゆる"エロマンガ" を読んでいたのだが、その作中で、行為の最中にちょっと小休止のような時間に、女の子が男の子に「何して欲しい?」と聞いて、男の子が「ギュッて抱きしめて、"愛してる"って言って」と答えるようなシーンがあって、ああなるほどなと軽い衝撃を受けて気がついたのは、男性の作者では常に妙なマッチョ趣味が邪魔をしてくるために、男にこういう台詞を喋らせる漫画は書けない。

僕は上のような方向へ社会が向かうことに、基本的には賛成で、男がもっと"弱く"なるべきだと思っている。"男としてのプライド" だかなんだか分からないが、そんなものは屁みたいなもので、だとすれば、窓から風を入れて吹き飛ばしてしまうのもいいと思う。全国の喫茶店と言う喫茶店で、女性を前にしてつまらない話を滔々と、得意げに述べる男が観察されているのも、そのせいが一つだろう。そんなことをしていたらそれは"殺意" を抱かれると思う。"殺意" というのはあまり穏やかではない言葉だけれども、基本的にこの国は女性に男性が甘えることで成り立っている国なので、女性を前にして下らない話を得意げに述べたがる男が許容されてきた。しかしもちろんそのような、喫茶店における男たちの演説は、言うまでもなく、下らない話を我慢して聞いてくれる女性の味わう苦痛という、尊い犠牲の上に成り立ってきたのだ。話を聞いてくれる人を前にして、礼儀としては、何か面白いことを話すべきだ。つまらない話はウサギも食わないのであって、あろうことかそれを無理やり恋人に食わせるなどというのは、ほとんど精神的なDVに近いとさえ言えるだろう。

男がもう少し馬鹿げたプライドを降ろして自由になるべきだと思う。そして21世紀は女の世紀になるべきだと思う。これは戦争の抑止という観点からもそう思うことだ。


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http://www.elle.co.jp/home/models/search/


もしも誰かにすごく大きな野望があって、将来のいつかに、例えばこんな素晴らしくスタイルの良い人たちと何らかの形で並んで歩きたいと思ったら、彼女たちが178-180cmはあるのだから、男のほうは185-190cmは欲しい。もちろん男女が並んで歩くときに、必ずしも男のほうが背が高くなくてはならないというわけではないのかもしれないが、しかしやはり、必ず男のほうが背が高くならなくてはならないという暗黙の了解が形成されてあるかもしれない。とくに男女で女性のほうがより背の高いカップルが侵入すると即座に狙撃されてしまうような恐ろしい地区に足を踏み入れるときなどには気をつけなければ。

しかし日本の男は、今でこそ昔に比べると遥かに体格が良くなってきたみたいだけれども、依然としてそんなに大きな上背を持たない。感覚的には、せいぜい街で、彼は185はありそうだなという人をたまに見かけるくらいだ。きっと私たちがアムステルダムへ行って街を歩けば、可愛らしい小人になった気分だろう。反対にアムステルダムの人が日本へ来て街を歩く場合には、自分がまるで巨人になったような気がするはずだ。

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http://www.elle.co.jp/home/fashion/collections/ss2006/detail.php?brand=galliano&num=1


これはちょっと面白い。南仏の高級リゾートにこんな夫婦がいそうだ。他の写真をめくって見ても、組み合わせの楽しさが追求された男女の姿で、ジョン・ガリアーノはきっと、見世物小屋の悪趣味や、サーカスに特有の猥雑さが大好きなのだろう。上の女と男に関しては、どうしても男のほうにこう言ってあげたい衝動に駆られる。 "…おじいさん! その女、誰がどう見てもあなたの財産目当てじゃないですか! そんなにニコニコして、どうしてしまったんですか!"

…ここでひとつ立ち入った話を。実は彼には一人娘がいて、彼女は愛する父親がこのいかにも悪そうな女と結婚することに反対したのだった。「お父さん! あなた、あの女に騙されているのよ! なんで分かってくれないの!」 このようなケースに関しては、父親のことを大切に思う娘なら誰だってそうするはずだ。ところが父親は聞く耳を持たなかったのである。そしてそれに続いて闘われた冷たい戦争の期間を経て、父子は今や、お互いにこの世に一人しかいない肉親との仲をこじれさせてしまうことになったのだ。そしてその父は今や、なぜかキャット・ウォークにまで狩り出され、手に入れた若い女を横に、自らの肩を抱かせて、恐ろしく幸福そうな満面の笑みを浮かべながら、喜んで闊歩しているのだった。一方の女はといえば、決して冷たい顔つきを崩さない。彼女は"クール・ビューティー" なのだ。


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今までに行った中で一番混んだのはsubmerge軍団のLiveだった。あのこじんまりとした箱にあの夜どれだけの人数がいただろうか。すぐそこに彼らがいて生で"The Very Existence" を演奏していたのには鳥肌が立った。あれには本当に"アガった"。他にも"Sex on the beach" などを、フロントマンの、巨体の彼が歌っておられた。


恵比寿リキッドルームにて行われたUR=Submerge軍団によるライヴが待望のCD化
http://www.hmv.co.jp/news/newsdetail.asp?newsnum=511290009


このCDをそういえば買っていなかったけど、欲しいなあ。



でもはっきり言って、precioushallのLiveのほうが熱かったと思うよ。実際のところ、気温も40度くらいはあったと思う。だからCDに録るならそっちが良かった。いや、どうかな。リキッドルームで聞いたわけじゃないから…。でもprecioushallの良いのは、Danny Krivitが言うように、まず何よりも客層が良いということ。本当に音楽の好きな人たちが来て踊る場所であるということで、良いclubの条件というのも、まず第一にそれだろうし。



Danny Krivit
http://www.higher-frequency.com/j_interview/danny_krivit/index.htm


>> HRFQ : 最初にプレイした場所はどちらですか?
Danny :Yellowと札幌のプレシャスホール。プレシャスホールは世界中で一番気に入ってるクラブなんだ。
HRFQ : どういった所が好きですか?
Danny :すごく荒削りな感じのするところかな。規模的にはYellowとかAirくらいある大きなクラブなんだけど、300人とか400人くらいの小規模なクラウドを十分楽しませるような造りになっていて、踊るための部屋がたくさんあるようなハコなんだ。それに、あそこの人たちは、あまりDJカルチャーとかクラブカルチャーとかいうものに囚われていなくて、純粋に良い音楽を楽しもうとしている所がいいんだよね。。



(前に札幌に来る前には東京に少しいたよっていうオーストラリアの20代後半くらいの男の子がいて、彼が言うには、東京ではYellowとか行って、今札幌でここにいるんだと。これからウインター・スポーツのシーズンでしょ。ニセコで半年遊ぶんだよ。へー、いいなあ。ニセコは。)



酒飲んで女の子にちょっかいかけて騒いでるだけの、チャラそうでいて実は本当にチャラい男ばかりいて、"ギャル男" もちょっといたりして、音楽なんか誰も聴いてないような"哀しき大箱" も、もちろん男女ともに欲望丸出しで現地集合する合コン会場として見ればそれは全くありなのだし、それが目的の場合にはそこへ行くのが良い。しかし音を楽しむ場所という意味でのclubとして見ることは難しい。だから結局、使い分けだと思う。まるでたちの悪い女性が男性を厳しく選別して使い分けるように狡猾に、私たちは数ある箱を使い分けなくてはならないだろう。



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