A Note

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一人きりで、夏の宵に、私は考え付いた。子供は蹴ったり殴ったりしたくなるほど可愛くないのに、孫ならば目の中に入れても痛くないなどと勝手なことをいうのであれば、話は簡単なことではないのか。そう、子供を通り越して最初から孫を産む方法を開発すればいいのだ。

分かっている。「いえ、語の定義上、それは論理的に不可能ですよ」などと言いたい、弱腰の悲観主義者たちへの反論も用意してある。つまり、「その通りだ」と。どうも無理そうに思えるのだ。論理的に無理であるということの意味は、つまりそれは無理であるということだ。


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この間、ケニア(ガーナだったかもしれない)のカカオ農園で一生働かなければならないという兄弟を取材した、どこか日本の民放が製作した番組を見た。兄と弟、それぞれ何歳だっただろう? 10歳に6歳といったところ、そんな風に見えた。数字を取るためなら全然抑制の効かない民放の手口としては普通だけれども、無理やりに泣かせようとする作り方はやはり鼻についた。それが彼ら兄弟の責任でないことは言うまでもない。

今この国の人々は、なんとかして涙を搾り出すための悲しげな"お話"を求めていて、それを自分たちで量産するだけでは飽き足らずに、世界のどこへでも出かけていくようになり、その潮流の中であの番組が生まれた。そんな風にも思えた。もちろん彼ら兄弟の置かれている境遇はひどいし、大いに同情すべきものだけれども(しかし本当にそうだろうか? お前の救世主気取りもいい加減にしろというものではないのか?)、だからといって無理に泣かせようとする必要はない。

下の男の子は学校という場所で何が行われているのかに心から憧れながら、状況がそこへ通うことは許さずに、まだ年齢が一桁の子供では充分な体力もついていないだろう、疲れていたのかもしれない、ぼんやりと労働をサボっていたのを農園主に見咎められて、罰として40分間のスクワットを科せられていた。たかだか6歳の子供に、罰とは言え、40分のスクワットはあまりにも過酷だと思えたが、しかし罰が過酷でなければそんなものには罰たる意味がないのだから、自分を農園主の立場においてみれば、確かに彼は彼なりに正しいことをしている。

なんだか仕方がない世界だけれども、与えられているものに感謝して、自分は自分のことをするしかない。あと、口を出すなら、ほんの少しでもいいからそこに金も出すことだと思った。「同情するなら金をくれ」 これは一見ユーモラスな言葉だけれども、確かに真理を突いている。同情を食べて生きていくことのできる人はいないものだ。

口は出すのに金は出さない。それでは道理が通らない。少しでも自分の金を出せないのなら、口はつぐんでいたほうがいい。そして実際にできる行為としては、少し自分の金を出すくらいのことでしかない。職業的なジャーナリストやドキュメンタリストなら、使命感に駆られて、企画を立てて、本を書いて、機材を抱えて撮りにいくことができるかもしれない。しかし自分の生活を持っている人にはそれは不可能なことだ。


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http://www.ikegamigakuin.co.jp/gakuincho/kyoikuron/kyoikuron12.html


これを読んだ後で余計にピアスを開けたくなるような人以外とは友達になりたくない。あなたもそうだと思うが、どうか。美しく着飾りたいという欲望は、人間にとっては根源的なものだ。生涯年収など知ったことか。


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本来ならば存分に楽しまれるべき北国の短い夏も、肺の底にとぐろを巻いた鬱屈へ点火したに過ぎなかった。爆発だ。 


「…世界は不完全だ。あまりにも愛の無い人々、愛しあうよりも殺しあっている人たち、絶望の中で死にゆく人へ唾を吐きかけ、石を投げつける人たち。搾取しあってる、殴り合ってる、愛し合っても、寝取られてる。誰がこの世界を作ったんだ! 世界の設計者をここへ連れてこい! 今すぐに!」


そのお願いを聞き届けるにやぶさかではありませんが、あなたの言われる"世界の設計者"を連れてきて、いったいどうしようというのですか?


「そう、いきなりシバくのはまずいから、まずは話を聞いてあげる。寛大にね。どうしてこんなんなっちゃってるの、と優しく聞いてあげるんだ。そうしたら、その"世界の設計者"は自分の無能を恥じて泣き出すかもしれないね。それを待ちかねたように、バキバキにシバきあげる。」


結局シバくのでしょうね。


「それが望みならば、それをしたいということなんだ。」


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"いかにも俺は逃げる。理由はこうだ"


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「…自分のやりたいことが何か見極めて、思う存分にやってみればいいじゃないですか。期待されても、来世の保証はないんですよ。60歳になってから20歳に戻りたいと思っても無理ですよ。それだけはいくら金を積んでも無理でしょう。

食えなくなったらどうする? そのときには死ねばいいじゃないですか。あなたもお分かりのことでしょうが、人間というのは、無いときには泣くものだし、食えなくなったら死ぬものですよ。今もこの世界に偏在する恐ろしい飢餓を見てください。食えなくなったら人間は死ぬものです。それにたぶん、本当に苦しいときには、誰かが助けてくれるものです。もちろん、あなたに人望があればの話ですが。

別に闘志をむき出しにする必要はないけれども、でも生きていくためには、"コロすぞ"という気迫は必要なものですよ。たとえば、ブーレーズを見てください。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BA

>> 初期には怒れるブーレーズと恐れられ、1940-50年代にはオペラ座を爆破せよ」「シェーンベルクは死んだ」などの過激な発言を繰り返した。



確かに彼はニーチェを読みすぎたのかもしれませんよ? でもニーチェは読みすぎてこその思想家でしょうよ! そうでしょうが。ねえ? どうですか。




不特定多数へ無限の抱擁を。」



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