「"無能な人間が歴史に名前を刻むための唯一の方法は、大義のために死ぬことだ" これはシオランの箴言じゃないけれども、しかし誰かの箴言だ。左翼の中で、ものを書いたり、作曲をしたり、映画を撮ったりできるほどには頭の冴えない人は、カメラを担いで写真を撮りに行けばいいんだ。何一つできない人でも、生きてさえいれば、死ぬことくらいならできる。何一つ貢献することの出来ない人にも、まだ失うことはできる」
「おれはお前のことは嫌いじゃないけど、そういうものの言い方は嫌いだな。"生きている厭世家"にはもううんざりしてるよ。中途半端なペシミストが一番嫌だね」
「違う違う! 僕なんて快活なニヒリスト!」
「…たいした道化だぜ!」
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「"火事と喧嘩はうぇぶの華"とは良くいったもので、うぇぶはいつだって大混乱。ウサギさんからゾウさんまで、ミミズくんからゴキブリくんまでが、それぞれに我が物顔でのし歩く、愉快な愉快な動物園なのです。掴みあい、投げあい、まさに興奮の坩堝! …え? 観戦しているうちに、高まる興奮を抑えることができなくなりましたか? Yes!! It's lovely!! そんなあなたは、飛び入り参加してみるのも、いいかも? でもでも、覚悟しておいてくださいね? 服がボロボロに破けます。髪はゴソゴソに抜けますし、なんとなんと、胃に穴まで開いちゃうんです! ですから、身軽な格好で望むのがお勧め!」
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一眼レフカメラを手に入れてから最初に撮った被写体は恋人の裸体だと言う人がいたら、正直者か、道化師だ。
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カポーティはアメリカの俗悪なスノビストたちの間で可愛がられていたけれども、それはあくまでも、埒もない軽口を叩いて楽しませたり、常軌を逸したような黒い冗談を吐いておどけてみせたりする、宮仕えの道化として寵愛されていたのに過ぎなかった。もちろん本人だって、その位置を占めることを十二分に楽しんでいたのだろうが。
金と暇のある連中はいつだって、カポーティに飢えているものだ。日本でもそうだろう。賢く、才気走って、ユーモアに溢れた人間なら、少々の辛辣さには目をつぶろう。いつだって大歓迎だ!
(ところで、ロバート・キャパは、ハリウッドについては、"これまでに足を踏み入れた中で最低の糞溜め"と言っていた。なぜだろう?)
BGM: "Horace Silver / The Cape Verdean Blues"
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誰でも撮りたいのが映画だけれども、誰にでも映画が撮れるわけではない。第一に、才能がなければならない。ここでほとんどの人が脱落するようだけれども、万が一才能がある場合にも、次に、金がなくてはならない。映画にとって顔の問題が過酷であるように、映画にとって金の問題は過酷だ。金がなくても小説なら書ける。ペンと紙さえあれば足りると昔は言ったらしいが、今ならさしずめ、人が小説を書くためには、一台のラップトップさえあれば足りる、というところだろうか。しかし映画を撮るためには、もう少し多くのものが今でも必要だね。
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人はその制服の通りの人になる。誰か有名な人間の言葉として知られていたかもしれないが、そんなことは誰でも知っている。いちいちあなたに教えてもらう必要はない。
警察官だから警察官の制服を着ているのではない。警察官の制服を着たから警察官になったのだ。
医師だから白衣を着ているのではない。白衣を着たから医師になったのだ。
ホームレスだからボロを着ているのではない。ボロを着たからホームレスになったのだ。
ピエロだから顔を塗っているのではない。顔を塗ったからピエロになったのだ。
ウサギだから長い耳をつけているのではない。長い耳をつけたからウサギになったのだ。
ところで、僕の好きな動物はウサギだ。
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