A Note

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親が高所得ほど子の成績良好


別にこの記事そのものに特別な興味を惹かれて引用したわけではないんだけど。というのは類似の研究が洋の東西を問わずすでに数えきれないほど公になっていることは明らかだ。それこそ縦軸に「学力テストの成績」、横軸に「両親の年収」をとったグラフは右肩上がりのそれはきれいな軌跡を描くに違いないなと無理なく予想できるし、実際そうだということだよね。

むしろこういう場合に面白いのは大多数がそこに収まるような集合からこぼれ落ちるような例外で、この記事の後半でも言及されているけどたとえば、低所得家庭に育ちながら学力は高いという子たち、そしてその理由でしょう:

一方、所得などが最も低いグループで正答率が上位4分の1に入っていた子どもを調べたところ、幼いころに絵本の読み聞かせをしたり、新聞や本を読むよう働きかけたりしていると答えた保護者が多かったほか、毎日、朝食をとるなど規則正しい生活をしているといった特徴があったということです。

この部分に関して一つだけいうと、朝食を取らなければ頭が働かないとか勉強に集中できませんよとかいうのは小学校でよく言われるだけの単なる神話に過ぎなくて嘘なんだろうけどね。つまり朝に栄養を取ることと学力が高いこととの間に直接の因果関係があるわけではないでしょう。

むしろ毎朝の食事を母親なり父親なりがきちんと用意して食べさせてくれるような、ある程度安定した家庭環境では学力の向上につながるような知的習慣や態度、例えばまず一番には読書なども形成されやすいということでしょう。

家庭ごとの所得格差と学力格差との間に明確な相関関係があることを報じるこの記事の最後は、しかしその格差を固定化してはならないし是正に向けた取り組みは常に必要だという意味内容の、このデータの分析を担当した大学教員のコメントで結ばれている。僕も基本的にその意見に賛成だ。子供はどの家庭に生まれてくるか自分で選べないし、ある程度不幸であったりあるいは恵まれない環境に育つことになる子供が一定の数出てくることは避けがたい。その不条理を可能な限り緩和するシステムが必要。

ただこういう話をしていて今思い出したのが前に読んだ、北朝鮮強制収容所で生まれた子の話で、そういう子のことをどう考えればいいのか。収容所ではある種の褒賞として収容者どうしの結婚が許可されるらしいが、その両親の間に生まれてくる子は生まれた瞬間から塀の中で、直接の経験を持たない人間には簡単に表現さえできないような過酷な環境で育つことになるはずだが、そういう子はそもそも人生に何かを期待するということができるのか分からない。

自由な世界に住んで健康な体があるならそれで幸せだ、という言い方に完全には同意したくないと思う僕はシニカルな性格だがでもその言葉は真実だと思うこともある。人間同士はかなり似ているが同時にとても違う。育ってきた環境も。僕は色んな動物の中で人間は大好きではないがでも自分以外の人間がいなければ生きていけないだろうな。

そしてそこまではまだ地球の話だ。単に地球上のことでさえ広すぎて考え尽くせないのに宇宙は地球を恐ろしくはるかに超えて広大なのだからここはいったいどんな世界なのか。そもそも世界がないという選択肢はなかったのか。なぜ何もないのでなくてここに世界があるのか、ということからすでにおかしい。