人生休業中。
子供の頃は二十歳もすぎれば何か人生を賭けて追求するに値する何かが誰にも見つかるものと思っていたが実際はそんなにautomaticなプロセスはなく、誰も何のために生きればいいのか分かってはいないという顔をしているし自分自身もちろん例外ではない。
「極東の経済大国に生まれ、何不自由のない暮らしを手に入れ、優しく美しい恋人を持ちながらも、解決しない悩みが残った、つまりいくつになってもショウゴは、人はなんのために生きるのかが分からずにいたのです」
僕には優しく美しい恋人はいないのだが…
人は誰かのために生きる、という言い方はおそらく正しいがそれが正しいと腑に落ちるためには自分で危険を犯し痛い目を見て確かめてみる必要があるのだ。
奴隷扱いとすれすれのプランテーション農場で生産されたカカオ豆が、先進諸国の完璧に商業化されたバレンタインデーのために供された。僕はその種のイベントを尊重するが下らないことに違いはない。まあ誰の人生も平等に下らないが…
僕は読んで元気になる文章を書きたいわけではないからこれでいいと考えてる。偽物の元気さよりは本物の憂鬱さのほうにつくべきだからだ。