A Note

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「この人しかいないという人を見つけたの。実はその人のこと、ずっと最高の、友達だと思ってたんだけど…」

上のFBのコメントの訳ね。これ面白いな。要するに友達から恋人に昇格するということは普通はほとんどないがそれが起きたらしいぞ、という画像なのさ。余計かもしれないけど解説するから。

上のリンクをたどると画像の上に「Un-friendzoned」と書いてる。Unという接頭辞はその後に続く語を否定する意味を持つ。「friendzone」というのは直訳して「友達ゾーン」、要するに日本語で言うところの「いい友達のままで」という意味だ。相手を傷つけないための婉曲的な拒絶の言葉だが、要は「あなたと寝ることは考えられない」と言っているにすぎない。そして基本的にそのような哀れなfriendzoned=トモダチンコが恋人、つまり彼氏の立場へと昇格することは、明日の朝起きたら地球が無くなってるのと同じくらいありえない。つまり可能性はゼロではないが、はっきり言ってゼロだ。

しかし上のFacebookのコメントではそれが起きたというのでR。画像の下半分に見られる、飛び上がって狂喜する人々は、その奇跡を祝福しているわけだ。HE DID IT!「あいつやりやがったぜ!」

friendzoned=トモダチンコにされることは最悪だ。誰か意中の女性からここに位置づけられた男は、ただ彼女のことを遠目に見ながら気づかったり、贈り物をしたりすることが許されるだけで、決してロマンティックな意味で関係が進展することはありえないという最低の状況に置かれる。その立場に甘んじるうち、彼女の好きになった別の男のことで相談に乗らされたりする可能性も考えられ、そうなると嫉妬と悲しみでやけくそになって酒を飲んだりする場面も想像でき、先行きは暗い。

ただ映画のシナリオなんかだと、セクシーだけど不誠実な女たらしに疲れた女性が「本当に私のことを思ってくれてる人はこんなに近くにいたんだわ」なんて言ってトモダチンコが彼氏に昇格し、やがて結婚というハッピーエンドがありそうだけどね。というかそういう映画はかなりたくさんある気がするな。

トモダチンコは好きな彼女が彼氏と上手くいってないときに慰めたり、ときには「彼氏のチンチンが大きすぎて困るの…」などという露骨なセックスの悩みまで聞いてあげていたのだ(その晩は彼女が別の男と寝てるのを思い浮かべてしまい、嫉妬と欲情で身もだえして全然眠れない、という描写が入る) そのような苦悩の日々も最後には報われるという映画だ。

いずれにしても現実にそういうことは少なく、だから上の画像が喜ばしいと感じられるわけだ。あまり無害ないい人みたいな顔してるとトモダチンコに分類されて貢がされるだけだから気をつけないと。

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若さは有限の資源だ、黙って見ていれば少しずつ蒸発して消えてしまう札束みたいなものだ、保存が効かない以上、まだそれがあるうちに行使しなければ、自分の歴史に空しさが残るだろう。…ところがこう書いてみてすぐに腹が立ってくる。自分の過去に過ごしたはずの時間が誰かに盗まれてしまったような気がするからだ。しかしもちろんそれは錯覚であって、誰も誰かの時間を盗むことはできない。本当は自分で自分の時間を投げ捨ててきたのだ。

自分はこれまで本当に生きてきたか、と考えると自信を持ってその通りだと答えられるだけの手応えも重みも、自らのうちに見出すことができない。主観的に言ってこれでは死んでいるのと一緒だ。ただ息をしているのと生きているのとは全然別のことだ。十分な強度に満ちた生はいかにして生きることが可能なのか? 自分で思うに、きっと勇気が足りないんだと思う。本当に生きるためには勇気が必要だ。では勇気を身につけるために何が必要なのか、というとそれは行動以外にありえない。物理的な行為以外には。