A Note

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高峰秀子そっくりの母親とややブサの親父をかけ合わせて自分が生まれてこの顔(親父似)ということは、僕の親父がもしイケメンだったとしたら、自分はもう少しかっこいい顔で生まれてきた可能性があると考えた。

ただここで忘れてはならないのは、僕の親父がややブサにも関わらず美人の妻を獲得したということです。その功績は十分に讃えられていい。仕事はできる人間だし、高校、大学と運動部でキャプテンを務めるような人間だったから女性にとってある程度魅力的な人物であったとは想定できる。

彼がもし心変わりして母親よりもう少し、あるいはかなり、外見的な魅力に劣る女性を妻に選んでいたとしたら、僕はとても今こんなに調子こいた男として生きられないくらい、自らの顔の美醜について悩んでいた可能性がある。

本当にすべては完全な偶然にすぎない。完全な偶然とはつまり馬鹿げた不条理ということです。ただ人間は何か現に目の前に生起している事実に一切の理由がないという事態には耐えられないため、前世とか、運命とかいうコンセプトを発明して、目の前の幸や不幸が由来するところを説明しようと試みてきた。

僕自身は前世も運命もどちらも自分にはなじまないし必要のないアイデアだと思っています。理由がないことには理由がないのだからそのまま耐えるしかないと感じる。皆さんはどうでしょうか? (・・?