A Note

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もうここ何年もろくな生き方をしてない。密度、強度という意味ではスカスカの、とても空疎な時間の持続の上にいる。だから非人格的な神というか超越者、all seeing eyeみたいなやつがいたとして、そいつに対して、まともに申し開きができるとは思えない。

「人生に遅すぎるということはない」とか「無駄の中にも意味はある」とかいう言葉を僕は信じていなくて、その理由は、その種の言葉をただの甘言としか、悪い種類の慰めとしか思えないからです。

前者は「もっと早くから始めていれば良かった」という後悔を、後者は「無駄な時間を…」という後悔を慰撫するために、互いに掛け合う言葉に過ぎない。言うまでもなく、何事も早くから始めるに越したことはないし、無駄な時間を過ごさないに越したことはないわけです。

never too lateとか人生に無駄はないとかいう言葉はその種の、自らの怠惰さや情けなさに対する厳しい批判の姿勢や内省の契機を隠蔽してしまいかねなくて、僕はあまり好きではないし、自分がその種の慰めに依存しすぎることは許したくない。

しかし冒頭に戻りますが、ここ何年も人生が空疎であって情けなく、なんとかしなければならないという気持ちも続いている。

最近真面目にやっているのは外を走ることだけです。走ることの中毒性、という意味を最近分かりかけてきていて、これはヤバイ。runner's highというよく知られた慣用句の意味を頭でなく肉体的に知りつつある。

今後の人生が心配。でも心配ない。が共時的にある感じ。絶望でも希望でもない。とりあえず強度と構造が欲しい。冷たい雨が降ってる。