A Note

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もし自分が彼女を40がらみのオッサンに取られたらどうするだろう、どう振る舞うんだろうみたいな、屈辱的な状況をシミュレーションしてたまに楽しんでる笑 別に今恋人なんかいないけどいる場合にさ。別にリリーさんに女を取られるとかいうんじゃないけどこのニュース見たら自分のたまに想起してるそのロールプレイのイメージを思い出したわけ。

こっちは金もないし社会的な地位もないし将来性なんか知れたもんじゃないわ生活力ゼロだわ、ときどき他の女に手は出すわ(これは僕じゃないですあくまでも仮想男ですよ、電車男ではないですけど)、という有様だからその子は自分の選択に不安を感じ始めてる。本当にこの男で大丈夫なのか? そんなときにオッサンが現れてその金と権力と経験のもたらす余裕で誘うわけですね。彼女の心は揺れます…

そういうふうに一人の女をオッサンと取り合うみたいな状況になぜか憧れてるんだよね。そのうちその種のチャンスが来たら楽しみたいですが…。ハァ?あんなオヤジに取られてたまるかって絶対燃えるでしょう。で結局オッサンの金と権力に負けて女を取られてもそれはそれでいい経験なんじゃないかと思うな。人生は続く。そうやって挫折と屈辱の記憶を積み重ねて人間は磨かれていくわけだ。

それに実は、その子は本当はオッサンのことは別に好きじゃなくてどうでもよくて、自分のほうにすごく惚れてて、そのオッサンのところには金をむしりに行くだけって状況かもしれないじゃん? その若い男が少し知恵のある悪いやつで、あのクソオヤジからガンガンむしりとっておれに貢いでくれよ、みたいに言い含めてたらさ。人間と人間とは化かし合いだからね…。

あのスコセッシのやつだっけ? カジノって映画でそんな展開がなかったかな。たしかロバート・デ・ニーロがカジノ王に上り詰めて目の覚めるようないい女を妻に迎えるんだけど、実はその女は結婚してからも、昔なじみのクズみたいなヒモ男と切れてないんだよ。

たしかあの映画で一番面白かったのがあの部分で、なんでそんな情けない馬鹿のことがずっと好きなんだよ?絶対そんなのよりロバート・デ・ニーロのほうがいい男じゃん、何不自由ない豪勢な暮らしをさせてくれてるし、優しいのにって思うように作られてる。映画のあの部分は、恋愛って狂気だし理性や合理性の出る幕はないという大事なことを思い出させてくれるいい挿話だと思うし好きなんだ。

さてどうまとめようか? まあ結局リリーさんモテすぎってことに尽きるね。最後はそこに帰ってくるわ。北海道が寒いのも空が青いのも生きるのが悲しいのも、全てはリリー・フランキーが女にもてすぎるせいなんじゃないかって気がしてた。

だってモテそうだもんな。あのおじさんとりあえず色気があるよね。「ぐるりのこと。」って映画をこの前夜中にやってたのを見てそれはリリーさんと木村多江さんが夫婦役で出てるんだけど、その演技見てて、このオッサン女にクソモテそうだなと思ったもん。最近よくドラマとか映画とか出てるみたいだけど使いたくなるキャスティング担当者の気持ちが分かる気がした。具体的な言葉にすれば淋しげでしょぼくれたおじさんでしかないんだけどただそれだけに留まらない味や魅力を感じた。

なんかでも枯れててショボいのが魅力になるって男は得だよな。またそういうおじさんが好きな若い女もいるじゃん。でも枯れててショボい女が好きなんて若い男がいるかね。

でもこっちとしたら同年代の女の子がオッサンになびくのは面白くないけどね。だからオッサン好きの子らをこっちに呼び戻す戦略を立案するべきでしょ。それか上でも書いたようにオッサンから金をむしってきてくれってやるしかないよね(半ば強制的に富を移転) あーでもそんなことやるんだったら自分でどこかの小金持ちのオバサンに貢がせればいいじゃんね。the end justifies the means って呟きながら。

なんか最後はずいぶん邪悪な話になっちゃったな。でも人間の悪意が分からずに映画なんて撮れるはずないし、小説なんて書けるはずないんだから仕方が無いよ。劇作でも脚本でも小説でも漫画でもそうだけど、物語なんて作る連中は基本的に悪意の専門家なんだよね。でもだからこそ、その深淵を覗き込むもの、向こうから見つめ返されていることを忘れるな、みたいなミイラ取りがミイラになるな、に似てるニーチェの有名な箴言があるじゃん? これ本当に大事だと思う。マジでヤバい領域まで自分が行ってしまわないために。

これからも人の醜さや愚かさについてますます勉強していきたい所存です。いやもちろん愛や優しさについてもだけどさ…  基本、愛があれば何やっても大丈夫だよ。逆に愛がなかったら何やっても駄目だよ。これ真理ね。20代でもう発見したわ。

愛の人過ぎてひねくれてんだよね、セリーヌみたいに。セリーヌは本当に尊敬してるな。

じゃあまた。