A Note

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Justin Pierceっていうのはラリー・クラークのKidsという映画に出演したことがある人らしい。僕はKidsは見たことなかった。10代の子たちが絶望したり猥談したりドラッグをやったりセックスしたりする映画でcontraversialな作品という一般的な評価だ、ということはなんとなく知っていた。上に書いてることでは、この人は15のときに両親が離婚してそれからあまり学校に行かなくなった。マリファナとヘロインの不法所持で逮捕されたりした。スケボーをやってた。あるときWashington Square Parkで乗っていたときラリー・クラークに見つかって映画に出された。"Kids (1995)" しかし2000年にLas Vegasのベラージオの一室で首を吊って死んでしまった。それは自分の妻が、自分の親友であるプロスケートボーダーといちゃついているのを見つけた後で、と上に書いてある。

なんだもう死んじゃってるのかと考えた。なかなか難しいもんだなあと思わされる。こういう場合に死んだほうはもう死んでるから何も考えられない。ところが生き残った方はその後も色々考えたり苦悩したりしなければならないからキツい。だから僕は生き残った側の立場で考えてしまう。こういうケースを見かける度にどうしたって自分をそこに代入して考えざるを得ない。例えば自分が誰か親友の恋人なり妻なりを寝取って、そいつがそれを知って首を吊って死んだとする。何を考えるだろうか?

自分のせいで誰かが死んでしまうという状況は恐ろしい。できれば死ぬまで味わいたくない。きっとああおれ終わってるなと思うだろう。自分なんか小心者だから、あいつ女を取られたくらいで死ぬのかバカだなと簡単に割り切ることはできず、人間が死んだという事実が重くのしかかってくる。気持ちの整理をつけられない苦しい時期がしばらく続くだろう。自責の念から酒に溺れてアル中になるかもしれない。ただどうなろうと自分がいくら終わってようと結局人間は開き直って生きるしかないのは確かだ。あいつには悪いことしたけど、と区切りをつけて生きるしかない。しかし簡単に区切りがつくものじゃない。……こういうことを考えるたびに、僕は結局ある一つの考えに行き着く。"人生は面倒くさすぎる" 

しかしその面倒くささがそのまま生の豊穣さでもあるのだとしたらどうか? こんなにも面倒くさい人生を用意してくれた誰かさんに祝福あれ、と言うしかない。地獄に通じてるか天国に通じてるかもよく分からない道をいつからか無理やり歩かされていて、止まることも戻ることも許されないという状況に人間は置かれている。死ぬまで丸腰で、ただおそるおそる進んでいくことができるだけだ。その過程でどうせたくさんの面倒くさいことが起こるに違いないぞ。あークソ、何が用意されてるんだ? あまり痛いのは嫌なので人が死んだりとか家が燃えたりとかそういうキツいのは減らしてもっと甘美なイベントを増やしてくださいますか? よろしくおねがいしますね。ありがとう。

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僕だって毎日にこにこ笑顔で暮らしたいと思っている。常に心にユーモアを絶やさず、女性を外見で差別することなく、機会があれば悪いやつらだって退治したいと思っている。しかし世の中終わってることが多すぎる。夜中の1時に気合を入れて盛大に部屋の模様替えをしてくれる上階のばか、無能な政府に、昨日買ったのにもう腐ってるキムチ、自分にとってはどれも心を悩ます問題だ(とくにキムチには感心させられた)

そんな大小様々、色とりどりの憂さで埋め尽くされた毎日、今朝など空が晴れてくれず、おかげで気分もいまいち晴れなかった。しかしコーヒーをすすりながらWebを巡回していたところ、こうして上に掲げたノーパン女子の、可愛いお尻の写真を見つけたのだった。この輝けるお尻から放たれる白い光に照らされて、僕の気分も明るくなった。これこそ真の社会貢献だと思う。このお尻の素晴らしさを最上級の言葉で称えよ。

彼女がこの無邪気な丸出しで、これまで何人の男たちの自殺を思いとどまらせたか分からない。これは別に冗談で言ってるわけじゃない。何にせよ素晴らしい写真だ。そう、このお尻を形容するにふさわしい言葉が分かった、つまり粋ということだ… うん、粋… ちくしょう、なんて粋な尻をしてやがるんだこの子は! 

さて、見知らぬ誰かが見せてくれたノーパンに励まされつつ、歯噛みしつつ、今日という日も始まりつつ。