A Note

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しかしながら、ストラヴィンスキーは「ベリー・インテンス」(Very intense)の一言しか残していない。「絶賛した」というのは幾分眉唾であったという研究もある。ただ、「インテンス」という語が音楽評論で用いられるのは、その作品のクオリティを認めた場合が多く、

意味でも目的でもなく、希望でも絶望でもなく、白でも黒でもなく、ただ無色透明の、無味無臭の、intensityだけがあるような人生=表現が自分の理想。全ての価値を脱落させて、そこにただ強度だけを置き去りにする。

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A classless,monyless,stateless communities of humanity in cooperation to take care of our needs and well being , expressing our creative energies in freedom of being. Capitalism is the manipulation of resources and technology for the private gain of a few in a monetary system that enslaves immense humanity in wage slavery of useless employment system that dehumanises and denies our human creative potential for a world of harmony within and without.


創造的読み替え:(Marxismは社会における貧富の格差が、貨幣システムが、そして国家が、揚棄され、消滅した世界を、目指す。人間が自ら信じるところに従って十全に創造性を発揮することのできる世界を目指す。Capitalismは賃金の奴隷を生み出し、奴隷たちは笑うことを忘れ、創造性を失う。そして奴隷たちは自分が奴隷であることを忘れる。そして賃金奴隷たちの働くことで生み出した利益は、一人ひとりへ接続されたパイプを通じ、毛細管現象により吸い上げられ、上に、つまり限られた少数者のところまで、そいつらを肥え太らせるために、登っていく。......... Capitalismは.........  Capitalism is ........SHIT.)


上に示したのはサムアップが43付いてコメント欄の上部へ抜き出されていた誰かの記述だ。英語と日本語は対応していないから注意していただきたい。これは翻訳ではなくて読み替えだから。Zizekの話し方が好きだ。語りたいから語っているのではなくて、語らなければならないから語っているのが分かる。どう控えめに言っても言葉の出力される過程が滑らかではないし、洗練された物腰もない。そしてそのぎこちなさによって良い。語り口は洗練され、知的な能力は高くとも、中身は腐り果てた、ただの権威主義者であるような哀れな学者がどれだけいるだろうか? そもそも学問を志す動機の間違っていた人々だ。自分の中に燃やしたマルクスの情熱で、そのたびごと生起する文節を体の外へ押し出す。思想の蒸気機関車としてのZizek。

追記:ジジェクってバタイユに似てんだよね。いやどちらも語れるほど読んでないから文章の流れとか論理展開の癖とかそういうことじゃなくて、あの、話し方が。なんで分かるかっていうと岡本太郎がパリにいたときに個人的にバタイユと付き合いがあったんだけど、そのときに目にしたバタイユの演説の、その話し方を描写してる文章が手元にあるんだ。あとでそこから抜くかな。とにかく、ジジェクのこの語り口がものすごく魅力的だわ。ものすごく不器用だし、いかにも学者的な洗練の、そのまったく対局にある。魂から語っているということが、分かる人には分かる。でバタイユもこんな感じだったんじゃないかと想像させるような描写が岡本太郎のエッセイにあったんだ。