A Note

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YouTube - THA BLUE HERB - 未来は俺等の手の中
http://www.youtube.com/watch?v=mNQgrD8PGFI



  "まかないのあと 五分だけもらった ケムい休憩室 自由とは何だ
   俺はこのままでは終わらない そうだな 未来は俺等の手の中"


  "五月二日なんすけど ライブなんで休ませてほしいんすけど
   「それよりも悪いんですけど 今月で辞めてほしいんですけど…」
    OK。余裕。未来は俺等の手の中" (3:28 - 3:39)



根拠のない自信に基づいて自分以外のすべての対抗者をボロクソにけなすのだがしかし、かと言って自分に評価があるわけではなく、金があるわけでもなく、異性からも相手にされることはない、こっちもいわば最低の、クソまみれの状態。小説家にせよ、映画作家にせよ、画家にせよ、写真家にせよ、ラップアーティストにせよ、下積みの時代にそのような状況を経験してこなかった表現者がどこかにいるだろうか? "未来は俺等の手の中" という大言壮語は希望の見えない最低の状況の中で放たれ、そして彼らは実力でそれが "フカシ" ではなかったことを証明したわけだが、どんなに悲観的な状況にあっても不敵に笑うことができるという強さを彼らは持っていたことが、この曲を聞くと分かる。上の二つ目の引用のようにユーモアもある。それもいい。OK。余裕。たとえ死にそうでも。

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20歳を超えてまだ身長が伸び続けるということもあるのだろうか。数年前に比べて数cmくらい背が伸びたような気がする。しかしこの段階ではそれも根拠のない推測に過ぎない。"180cmくらいあれば少し背の高い外国の女性と並んで歩いても見劣りするまい…" と無意識のうちに色気を出していた僕の希望的観測に過ぎないのか? 実際に測って確かめてみたい。そうすることによって、今までは175cm分しかなかった僕の自尊心が数cm分だけかさ上げされる可能性がある。もちろんがっかりする可能性もあり、その場合には僕のへなちょこの自己信頼にいささかの修正もあり得ず、毎日は続いていくだろう。

さて、身長を測ろうと思い立った男は一体どこに行けばいいのか。これがちょっとした問題であるように思えてきた。たとえば全くの健康体で病院に行って "今日は身長を測ってもらいに来ました" と言うのだろうか。しかしそれではやはり、少し馬鹿みたいに見えるかもしれないと僕は躊躇し、別の手段を探したいと思う。

ここで誰でも、"ならばわざわざ風邪を引いてから病院へ行こう" と考えるだろう。なぜそう考えるのか。健康な人が身長だけを測りに病院を訪れるのは普通のことではないが、風邪を引いて病院にかかるのは普通のことであり、看護婦さんにこう言っても何ら奇異には思われないであろうと考えるためなのだ。"熱も測りますけど、ついでに僕の身長も測ってほしいです"

…身長を測りたいというこの話に決着もついていないし、これ以上もっと何か書きたかった。でも今日はもう飽きてしまった。どうもありがとう。From Sapporo with Love.


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