A Note

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GQがゲイ向けの雑誌とは僕は思ったことなかったが、海外の小説を読んでいたら登場人物がそんなことを示唆する会話が出てきた。そのことはGQで思い出したから言っただけで本当にどうでもいいのだが、これはダミアン・ハーストが撮ってないだろうなと思った。しかしそれはもちろん「撮る」とか「撮影」とかいう行為をどう捉えるかにもよるけどさ。

つまり蛇とかメデューサとかいうアイディアを提出して全体として達成すべき仕上がりに向けてディレクションする全部が「撮影」という行為だと呼ぶとすれば、ダミアン・ハーストがスタジオでカメラの前に立つことは必要ない、現場にいる必要さえない。家で紅茶を飲んでいようとポルノビデオを見ていようといいのさ。では誰が実際に働くのかというとそれはたぶん無休しかも無給のアシスタントとかインターンとか呼ばれる人たちがやるのだろう。

必要なのは自分の名前がクレジットされたうえで最終的に求めるイメージが得られることだ。これは別に作家に二つ目の尻の穴を開けてやるぞなんて思って攻撃的に書いているわけではなくて推定できる事実を想像して述べてみたということだ。写真自体について思ったのはリアーナはスタイルがいいなというのは見れば分かるけど直接的に欲情させられたかといったら全然そうじゃないな。好みの問題というやつだ。

ただもちろん世間に流通する女性の裸がすべて猥褻であることを意図されているわけではないのだから別にそれでいいのだ。


追記: というか今見たらこの撮影において「ダミアン・ハーストがシャッターを切ってない」ということはPhotographerとArt Directionとが別々の職能としてクレジットされるという形で最初から写真の上部に明示されていたね。でも僕は上の文章を書いたときそれはまったく目に入っていなくてその記述がないものとして考えていた。推測に基づく自分の記述が真であったことは判明したが、だからどうというわけではないしそんなことではこの世界はよくも悪くもならない。