A Note

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いいじゃん。こういう普通のが好きなんだ。安定感に満ちたMixだ。なんかアメリカの大学生のガキ向けみたいなガチャガチャしたやつ苦手なんだ。

最近あまりここで喋ってないから何か書きたくなってきたな。でもキャプションなし付随する情報なしでただ写真を貼るだけという手法はしゃべるのが面倒くさい時にいいんだよ。画像による情報を解釈するのにもちろん言語の壁もない。その貼るだけというのはジャーナリズムの手法じゃなくてアートのやり方だ。作品が自ずから語るのでそれ以上の解説は必要ないという考え方だ。

こう書いてみて改めて思うことは写真というのはジャーナリズムを担うメディアでもあるけどアート作品として取引されるものでもある。これは絵画や彫刻とは決定的に違うところだ。

アンドレアス・グルスキー展を今東京のどこかでやってるみたいだけどいつだったかグルスキーの写真がクソ高い価格で取引されたとき、写真も一人前の芸術として認められたんだという誇らしげな意識をアート写真の側にたつ美術関係者は持ったかもしれない。

この世界では価値の高いものには高い価格がつくということになっている。一つのアートピースの価値をはかる上でそれに付けられる値段というのは最も分かりやすい一つの尺度であると認めざるをえない。

この話題はどこまで続けても終わらない。つまりアート作品の価値について話し始めるとだ。ゴッホジャクソン・ポロックの作品がなぜあれだけ高いのか考えてみるとよく分からない。価格決定の仕組みそれ自体が興味深い一つの機械であり分析に値する。