A Note

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「いき」の構造

    序

 この書は雑誌『思想』第九十二号および第九十三号(昭和五年一月号および二月号)所載の論文に修補を加えたものである。生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

"カワイイの構造" と自分で何気なく書いてしまってからその後で思い出したのが、九鬼周造の "いきの構造" のことだった。この短い論文は岩波から薄い文庫としても出ていて、それが一冊家にもありどこかの棚の奥の方に埋まっているはずなのだが、読もうと思いつつ読み通したことがなく、以来そのままになっている。上の青空文庫で本文を確認してみれば分かることだが九鬼周造はハードコアな哲学者であって、彼がこの論文を書くために用いているその文体もたしかに抽象度の高いものなので、読み進めるためにある程度の思考を動員する必要はある。それできっと昔の自分は面倒くさいと思って投げ出してしまったに違いない。しかし抽象的であるとはいえ、いたずらに難解な修辞を弄ぶことなどまったくなく、これ以上ないほど明晰で論理的な文章により記された "「いき」という現象" への一人の哲学者による簡潔な分析だ。

本当ならどこかにあるはずの文庫を手元に用意して読みたいがどこから掘れば見つかるのか分からないような状況で、だから上にリンクしたHTMLファイルを開いて斜め読みしてみたが、ざっと見渡しただけでもこれは非常に面白い論文で、昔に通読することなく投げてしまった自分の判断が間違いだったことが分かる。僕は彼の人物について詳しくはないが、九鬼周造という高貴な出自を持つ哲学者は自他共に認める気合いの入った遊び人であったはずで、この論文のなかでも "いき" から敷衍して男女関係の機微を分析することに少なくない字数が割かれている。二章 "「いき」の内包的構造" の冒頭から引用する。

まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。

そして以下に "媚態とは…" と分析が続く。「いろごと」を抜きにして「いき」を語ることはできないというわけだ。男でも女でも、「いろごと」に全然興味がないという人はあまりいないだろう。つまり誰が読んでも面白いことは保証済みだ。哲学の論文としてはかなり異質の面白さを持つこの文章を読んで野暮な男は "いき" について勉強したい。そして九鬼から学んだ知見も用いて、いつか自分では "カワイイの構造" を書いてみたいとも思う。なぜならもはや "カワイイ" という現象は、九鬼が "いき" に関して行ったようなしかるべき分析を必要とする段階にあると思えるからだ。

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世界にはびこる悪徳について思索していたが、そのとき唐突に、こんな世の中に救いがあるとすればそれはもうカワイイものでしかないという結論に達した。ついては、今後は誰にも気づかれないように少しずつ、カワイイblogへの脱皮を図るつもりだ。まずは先ほど偶然に発見した子うさぎの写真を貼ってみよう。このうさぎがなぜカワイイのか説明する必要はないだろう。カワイイの構造を分析的に論じるほどの野暮はない。僕自身は、こいつがいかにもフワフワしていそうなところに惹かれたが…


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SEXの話です・・・。(真剣). まじめに真剣なしつもんです。 現在高校2年生です。 ... XXXXXXXさん. AVと比べてはいけませんが、・・・・ 彼女の服は彼女自身が服を脱ぎましたか? あなたが脱がせないといけません ...

ええっ 勉強になりました ... 個人的には、男が女の服を脱がせなければならないとは考えない新しい世代にぼくは属しますが ... 行為の最中に女性が一切能動的に振る舞ってはならないなどという考え方は、はっきり言ってかなり古い、そのうち消え去るべきものですからね ... 現在でも依然として有効性を持つその種の規範が、基本的には日本における女性の地位を表していると見ることが出来ます ... つまり女は男に対して従属すべしということです ... しかし僕はこう見えてもかなりfairnessの感覚を重んじる人間です ... 人道主義者とか左翼などではなくてただfairでないことに怒っているだけの ... ですからそのような状況には反対です ... それでも、男が女の服を脱がせるというのは考えてみれば面白いですね ... それはおそらくあらゆるURLの先頭へ "http" と付けるようなものでしょうね ... きっとそういう旧世代のプロトコルがあるのですね ...