A Note

^_^

To be or not to be

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中曽根の葬式なんかどうでもいいわ、知るか笑 勝手にやってろよバカ。中曽根だろうと都庁下のホームレスのおじさんだろうと、人間としての価値はほんの少しも変わらない一個人、ただの人間。彼らの葬式に香典を包むかそんなことはどうでもいいのか、それは各国立大学の完全な自由。自民党文科省も、それに関して一切指図するな。

スガやっぱり全然だめだなあのハゲ。単にムカつくだけの化石みたいなジジイだわ。リベラル勢力が集結して政権交代を目指すしか解決はない。 

 

 

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――17年前、『The Only One』を聴いたときは“本物が出てきた!”と鳥肌が立ちました。どんな活躍を見せてくれるのかと非常に楽しみにしていたのですが……。

 

 

2000年前後、清貴という歌手がデビューしてその素晴らしい歌唱力で話題になった。誰もが輝かしいキャリアを期待した。ところがその後なぜか姿を消してしまった。清貴本人へ、その後何があったのか聞いたSPAの記事。

これ自体が2年前の記事だから、今から数えれば19年前の曲。自分もこの曲が2001年にリリースされたときのことをよく覚えてるけど、上の記者と同じく「本物が出てきた」という感覚を確かに持った。

上の曲より少し前の1998年に宇多田ヒカルが「Automatic」で日本を席巻した。SpaceShowerTVで1日300回はPVが流れた。久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」がそのさらに2年前、1996年。

その後の二人の活躍について今さら語る必要もないが、清貴には彼らに同等の才能と将来性を感じていた。

上の「The Only One」は少なからず衝撃的な曲だった。上に名前を上げた2曲と並んでJPOP史に残る名曲だと思う。純粋に歌の巧さのみで勝負したといえる曲は日本でほとんどリリースされないが、それは数少ないそのうちの1つ。難しすぎて素人がカラオケで真似して歌うなんて絶対に無理で、それは要求される歌唱力が高すぎるから。でも清貴はそれを少しも無理なく余裕を持って歌いこなした。そして表舞台から消えた。

記事にこういうことが書いてある。彼はもともとゲイであって、その自分自身の本当のセクシュアリティと、社会的な性格の強い歌手という役割との折り合いをつけることに苦悩した、さらにレコード会社から、技巧を駆使しないもっと歌いやすい歌をというマーケティング上のプレッシャーがかかったこともあり、音楽性についても混乱を抱えて自分自身で何がしたいのかわからなくなってしまった。

人間というのはそもそも性的な動物であって、好きな男や女がいればSEXしたいもの。もちろん性欲全然ない派、SEXいらない派がいるならそれも含めて尊重する。セクシュアリティというのは本人の魂の根幹に関わる問題であって、そこが障害されていては明るく健康に生きていけるはずがない。性的少数者といってもLGBTQといってもいいが彼・彼女らの自殺率は高い、特に思春期。社会的に要求される性役割と、自分自身の自認する性的指向との相剋に悩んでそれを克服できないがゆえの悲劇だ。

清貴が今も歌手として、過去にもまして力強く活動していることが分かって良かった( ^)o(^ )